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2014年4月

2014年4月27日 (日)

老老介護事故判決・・それはないのでは

老老介護をしていた85歳の妻が目を離した隙に外出した認知症の91歳の夫が電車にひかれた事故で、その妻に「損害賠償としてJR東海へ360万円支払うように」との判決が言い渡されました。

私は裁判官ではありませんので、判決はそれなりの根拠があるのでしょう。 しかしです・・・私は納得出来ないのです。 

Photo 厚生労働省は2012年時点で、全国の65歳以上の高齢者のうち、認知症の人は15%で、約462万人にのぼると発表しています。国は既にどのような事態になるかを判っているのです。

認知症の介護を個人に押しつけ、その限界も本当は判っているはずです。 しかし国の無策による(言い過ぎでしょうか、国の対策にも限度があります)この様な犠牲者を悲しむ家族にお悔やみの言葉を伝えるのではなく、迷惑料まで支払えというのです。 個人としてあまりに酷なことではないかと思うのです。 85歳の老女が91歳の認知症の夫を24時間監視しなければいけないのでしょうか。 家族も頑張ったと思うのです・・・私はそんな判決、無慈悲だと思うのです。

この裁判官も24時間睡眠もしないで、介護をすることが可能と思っているのでしょうか?(判例上仕方ないのかもしれません・・私には判りません)

本来なら国として、亡くなった方の家族に謝り、JRへの事故の補償を肩代わりすべきです。 今、国の政策は認知症や老人を医療機関から自宅へ戻して、医療や福祉に税金を使わないですむ政策を進めています。 そしてその結果起こりえる悲劇も個人(私達国民)に押しつけようとしているのです。 国がやらないといけないことを、いつの間にか個人のせいにすり替えている気がします。 

国は消費税を上げたのではありませんか。福祉や医療に使うために上げたと言ったじゃありませんか。 国民に負担をかける前に身を切る、大幅な議員定数削減を行うはずじゃなかたのでしょうか・・・・

この様な事故で責任が問われるようになると、Th_photo1_40_2 もう老老介護も家族での介護も不可能となります。年をとったら医療もしてはいけません。認知症になれば監禁して部屋から出さないようにしなければならないのしょうか。

日本は頑張って働いてきた方々を高齢で役に立たなくなったから、あるいは行き場を失った方々を見捨てろと言うことなのでしょうか。

この国はおかしな方向に進んでいます。

2014年4月23日 (水)

PM2.5と喫煙・COPDの関係

今日のFMレキオはPM2.5について話をしました。 中国から偏西風と共に飛来するPM2.5についてマスコミ等でお聴きのことと思います。

ただ患者さんとの会話の中で少し誤解している部分もありそうなので少しまとめてみます。 「PM2.5=発癌物質」では必ずしもありません

Th_ まずPM2.5の定義です。空気中には色々な大きさの塵がただよっています。空気中の粒子が小さければ小さい程、呼吸と一緒に肺の奥にまで入ってしまいます。 1mmの1000分の1の単位をマイクロメートル(μ)と呼んでいます。 空気中に漂っているマイクロメートル単位の小さな物質を粒子状物質と呼び、英語ではParticulate Matterと言うので略してPMとなっています

「PM2.5」とは2.5μより小さな粒子状物質の総称で、大きさで決めていて、この物質がなんであるかではありません。(大きさの例では髪の毛の直径は80〜100μ、杉花粉は30μ、黄砂などは4μです。それらよりずっと小さい粒子です)

なぜこんな小さな物質が問題となるのでしょう? それは大きな塵なら鼻毛にかかったり、くしゃみと一緒に体外に出してしまいます。杉花粉などはアレルゲンとなってくしゃみなどの原因になりますが,肺を破壊しません。

肺は呼吸をする器官ですが、空気は気管、気管支、細気管支を通り肺胞という一番奥の場所で酸素の入れ替えを行います。 PM2.5ぐらいの小さい粒子になるとこの肺の奥まで入ってしまうのです

有史以来、偏西風に乗って黄砂などが日本に押し寄せていたはずです。しかし今問題となっているのは、中国が急激な経済発展で石炭需要が増し、車の急増と環境対策の遅れでなどで、Th_pm25 大気中のPM2.5が激増し、その成分も変化したことが問題となっています。 その中身は沢山の硫酸塩、硝酸塩、有機化合物などや発癌物質も多く含まれていることが問題となっているのです。

それによりアレルギーなどや気管支喘息、慢性閉塞性肺疾患(COPD)の増加や悪化、癌の発生、さらに循環器系にも悪影響を与えるのです。

PM2.5は大きさとその成分が問題となっているのです。何となく日中関係がギクシャクしている中で、中国憎しとなってしまいそうです。日本もかつては経済成長の中で、世界の海や大気を汚染してきたのです。 それから得た環境技術を今の中国で生かすことが出来ればWin・Winの関係になれると思うのですが・・・・。

皆様もPM2.5は中国からやって来た問題だけと思っていませんか? 日本にやって来た時にはかなり大気に拡散されて濃度も低くなっています。 もっと身近に高濃度のPM2.5があります。

Th_hl24_12 これは喫煙です。タバコの煙はPM2.5そのものなのです。たばこの煙には喫煙者が吸う「主流煙」と、たばこが燃えることにより発生する「副流煙」があり、非喫煙者はこの両方から影響を受けます。副流煙には、主流煙よりも多くのタール・ニコチン・一酸化炭素・窒素酸化物等、多くの有害物質が含まれ、アルカリ性のため、目や気道について、刺激性が高いという特徴があります
日本禁煙学会のHPに、様々の場所でのPM2.5濃度が書いてありますので参考までに追記しておきます。
(全面禁煙のコーヒー店:8μg/㎥ 、喫煙家庭:46.5μg/㎥ 、  自由喫煙パチンコ店:148μg/不完全分煙禁煙席:336μg/㎥ 、不完全分煙酒屋喫煙席 496μg/㎥ 、自由喫煙居酒屋:568μg/㎥  タクシー喫煙一人  1000~μg/)・・・・・ちなみに中国で一番ひどい状態が500程度と書いてありました。

国(環境省)のPM2.5基準値は「1年平均が15μg/㎥以下であり、かつ、1日平均値が35μg/㎥以下」としています。

もしも喫煙者が中国の大気汚染を気にかけているのであれば、自分自身と周りにどれだけ迷惑をかけているかも鑑みながら行動しないといけないかも知れませんね・・・今回も愛煙家にとっては厳しい意見になりました

(2014/04/23のFMレキオ「いきいきタイム」はこちら視聴出来ますhttp://www.stickam.jp/video/182295435

2014年4月20日 (日)

スイッチが入る瞬間

皆様の中にも、何かをした瞬間にスイッチが入ることがありますでしょうか?

Th_5 私は外科医として、毎年250〜300例の手術に入り、おおよそその1/4を執刀しています。 

外来で接する患者さんや僅かに知っている方々からは、私がどうも外科医には見えないそうです。日頃ボ〜ッとしているからなのでしょうか

その私でも、スイッチが入る瞬間があります。 手術においては患者さんが手術室入り、種々のモニターを装着し、血圧・脈拍・酸素濃度などをチェックをした後に全身麻酔開始となります。 外科医はそれから手洗いを行い、再度手術室もどり、滅菌の手術着をつけて手袋をはいて、手術が開始となります。

 Photo_2私の場合はこの手術着に袖を通した瞬間に気持ちが切り替わります。 袖を通した瞬間に「さあやるぞ」とふやけた体に力が入るのが判るのです。

そのようなことを考えていると、仕事場のユニフォームや制服も悪くないのかと思えてきました。 若い時、学生服、デパートや作業場での画一化された服に対して、もっと自由であればいいのにとか、ない方がいいと考えていました。 ユニフォームが公私を切り替えたり、気持ちを切り替えたりする手段になっているのであれば、今ではそれもいいのかなと思ったりします。

そう言えば、多くの方が勘違い(一部の医療者もですが)していると思うので記載します。 私達医療者の着衣に白衣というのがあります。 白衣を何となく医師のステータスのように着ているとか、権威の象徴のように思えて何となく嫌だと感じる方も多いと聞いています。 

あくまで白衣は作業着の1つです。どうして白衣なのか知っていますか?

白は汚れが目立つ色です。医療者は病気の方や出血の方を扱います。白衣には色々な雑菌や人の血液や咳などが付着します。 ですから白衣が汚れているということは雑菌(病原菌)がついていること意味しているのです。 白衣は何も威張るために着けているのではありません、汚れが目立つための単なる作業着なのです。 ですので私は作業着を白以外着たことはありません。時計や指輪をつけたこともありません。それは1日何十回も手洗いをするからです。雑菌をつけない、他人にも移さないための手段なのです。

あれ、何の話をしているのか判らなくなりましたね。そう・・・切り替える瞬間があるのは大切だと思うのです

2014年4月13日 (日)

あの素晴らしい愛をもう一度

「あの素晴らしい愛をもう一度」・・・加藤和彦さんと北山修さんが1971年に発表した名作です。もう40年以上前の曲なのですね。Th_040

別れた恋に、単にもう一度戻りたいということなら、共感を受けず消えていった曲だったかも知れません。 しかしこの曲のタイトルのように、「あの素晴らしい愛をもう一度」なのです・・・何を話しているのか疑問に思うかも知れません。  この曲はもう過去の素晴らしい経験として恋愛を歌っているのです。もう引きずることのない、戻ることの出来ない愛を唄っているのだと思うのです。

人はなぜ恋をするのでしょう? (医学的に脳の下垂体のドーパミンがどうのこうのという解説をしようとは思いませんので、ご安心を

純粋に恋をして、自分の全てがこの人と共にあると思えてきます。その人の瞳の奥にある自分の姿をみつけようとし、不安で心配でそれでいて嬉しくて、喜びのあまり叫んでしまいそうな自分がいます。その人と人生を歩みたいと願うのです。

しかし全てがかなうわけではありません。二人が成長する過程ですれ違ったり、夢や希望や生活あるいは進む道の違いで別れなければならないこともあります。 自分の全てをなくしたように生きる望みをなくし、自己嫌悪に落ち、生きる資格さえあるのかとさえ思えてくるのです。

Th_722_2 人はその傷ついた心を胸の奥にしまいながら、もう一度歩まねばなりません。時間が癒してくれます。 そしてもう一度前を向いて歩こうと願うのです。 今度は相手を想い、自分の気持ちを整理し立ち向かうのです。

そうもう一度「あの素晴らしい愛」を掴むために。 

これは恋愛に止まらず、人生そのものかも知れません。 失敗をしてなお新たな光を求めて歩み続けるのです。

(今日自宅で録音して見ました。まだまだミスタッチもありますがよろしければお聞き下さい。)

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2014年4月 7日 (月)

今を突っ走れ

四月となり、初めて仕事に就いたり、学校に入ったりしている方も多いと思います。
折角望んだ仕事(勉強)です。なりふりTh_008 構わず頑張って欲しいと思います。 中には何故頑張らないといけないの・・・適当でいいのでは・・・出る杭は打たれるだけだからと・・・・・違います。 今しかないから頑張らないといけないのです。 今やっていることが自分にとって適任(天職)かどうかまだわかりません。

たとえ将来違う道に進むにしても、今、頑張ることは自分の財産になります。 その財産とは頑張れた自分がいたことの経験値なのです。 将来、次の困難にぶつかった時に突破できる力になるのです。 あの頃あれだけ頑張れたのだから、今回も大丈夫と自分を信じ込ませることができるのです。 

最初から努力を放棄してしまえば、小さな困難も放棄してしまう癖ができ上がってしまいます。幅の小さな人間になってしまいます。

Th_065 もちろん頑張りすぎて、体を壊したら元も子もありません。自分の体と相談しながら自分の未来のためにやって欲しいと思うのです。 色々なことに立ち向かえる性質を身につけると、自分だけでなく会社あるいは社会のために役立つ人間に育つはずです。

新人さん達にとって、周りの先輩方のテキパキとした働きにびっくりするのかもしれません。誰だって最初は何も出来ず、失敗だらけのことだってあったのです。ひたむきに目の前のことをやっていけば、いずれどんな仕事でも当たり前にこなせるようになります。最初のスタートが大事です

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