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2014年3月11日 (火)

ふるさと

3.11を迎えると「ふるさと」について考えます。故郷(ふるさと)の定義は個人個人で違い、捉え方も様々だと思います。 時間的感覚で言うと幼少時から多感な思春期までを過ごした場所が「ふるさと」と呼べる地だと考えます。 

この時期に災害や家庭の事情などで辛い時期を過ごした方の中には、子供の頃に過ごした場所が「ふるさと」とは呼びたくない方もいるかも知れません。何故この様なことを書いたのかといいますと、室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思うもの/そしてかなしくうたふもの」という有名な詩句と一緒に高野辰之作詞の唱歌の「ふるさと」の詩も浮かんでくるからなのです。室生犀星の生い立ちは壮絶で哀れそのものでした。それでもなお、彼はふるさとを意識したのです。それ程、私達にとっては「ふるさと」は重要なのだと思うのです。

帰ることが出来なくなったり、失ったりした時、人はふるさとを意識するのではないでしょうか。 今では失われた光景や周りの人達、友との関係、初恋や恋愛、将来の夢や希望を語った場所だったのかも知れません。まぶたを閉じれば今でも浮かんでくる大切な場所思い出そのものが「ふるさと」かも知れません。

人間の中にも動物と同じように帰巣本能があるのでしょう。その捨てることのできない本能が「ふるさと」を作り上げているのかも知れません。

自然の力に対して私達人間は無力です。しかし人災の為に「ふるさと」に帰れない方々の無念を思うと苦しくなるのです

この時期になると唱歌の「ふるさと」を思い出します。この詩はずっと私の心の中にある唄なのです。初めて沖縄、親元を離れ、予備校生活の中で、成績が伸びず1人で苦しんでいた時に支えてくれた詩でした。

皆様にとりましても、いつの日か苦しさが昇華され、美しい「故郷」がよみがえることをお祈りします

今日自宅で「ふるさと」のギター弾き語りを録音してみました。よろしければ聴いて下さい。

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(歌の中で「つつが無や」を「つつが無や」と唄ってしまいました。すみませんcoldsweats01

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音楽」カテゴリの記事

コメント

3月11日を迎えました。私の所は殆どあの地震の影響は受けませんでしたが、東京に住んでいる親戚にはなかなか電話が通じす不安でした。その後無事を確認できホッとしました。

故郷はやはり私にとっても自分が育った実家の九州だと思います。いつでも気になる場所ですよね。

omoromachiさんのギター弾き語り大好きですheart04
いつも聴きながら優しい気持ちになれます。これからも沢山音楽アップしてくださいねlovely

ririka様、こんばんは。

あの日から3年が経ったのですね。実家は九州だったのですね。あの大地震では余り被害は受けなかったのでしょうか。

小学校から中学にかけて住んでいたいた地域が自分にとっての故郷のように思えます。 私は沖縄の田舎で18歳まで過ごしましたので、そこの思い出が故郷の思いでとなっています。随分沖縄も変わりましたし、子供達の遊びも全く変化したようです。 ririka様の周りも変わりましたでしょうか?

いつも褒めて頂き有り難うございました。

お久しぶりです。
近頃、故郷(ふるさと、こきょう)という言葉が、そして歌が身に沁みます。
いち早くomoromachiさんにお知らせしますが、
実をいいますと、今年の5月に故郷の鹿児島へのUターンを決意しました。
このところ、仕事も忙しいですが、頭の中も何やかやと落ち着きません。
ブログの方も長くサボッています。
鹿児島に戻ったら、ブログも新たに作って我が郷土を紹介したいと思っています。
帰るところのある私たちは幸せですが、未だ戻れない人達がいることを思うと……。
今まで築いた人生を再度生き直さなくてはならないのですから、我が身に置き換えるととても出来ない気がします。

早いもので震災からもう3年が経ちました。
でもなかなか復興計画が進まないため、ふるさとに帰る事を諦めて避難先での定住を選ぶ人が増えているそうです。ふるさとに帰りたくても帰れない切なさ無念さには心が痛みます。

行政も頑張っているとは思いますが、復興が遅れれば更にふるさとを去らざるを得ない人が増えるのではないかと思います。被災者方達のふるさとが一日も早く復興することを祈るばかりです。

こんばんは。
私は、どんなに荒れ果てても故郷は忘れたくないです。
その記憶がうせないように、またファインダー覗きます。

島桜様、こんばんは。

1つの区切りがついたのでしょうか?
故郷は鹿児島だったのですね。私が島桜様のブログを読むようになってからの、お名前の疑問が解けたような気がします(間違っていましたらごめんなさい)。
鹿児島で桜島を眺めながら育ったのですね。

鹿児島に戻られて、また新たな気持ちでブログを立ち上げて下さい。 楽しみに待っておりますので、是非教えて下さいね。 

島桜様の新たな人生に乾杯ですwine

いちろ様、こんばんは。

仰る通りですね。復興はその中身も大切ですが、時間との戦いでもあります。 
被災地の行政も頑張っていることと思いますが、更なる追加支援が必要と思います。
なによりも短時間で、全国に散らばった避難者の帰る足場を整えてやらなければならないと思います。時間が経てば経つほど、避難先で生活の基盤を築かなければならないため、帰還が困難になると思います。

もっともっと全力で国は支援をしなければならないと思います。

EOSのパパ様、こんばんは。

大地震で故郷の景色は一変したと思います。
それでもパパ様の脳裏には幼い頃からの故郷の風景がずっと生き続けているのではないのでしょうか?

ふるさとは私達自身なのかも知れません。

これからも素敵な写真を撮り続けて下さいね。いつも楽しみにしています。

omoromachi様、お久しぶりです。故郷を一緒に歌わせていただきました。映し出された画面を見ながら涙が落ちました。私は故郷を出て今また帰って故郷で暮らしています。故郷の山々に囲まれて幸せに暮らしています。なのになぜ涙が落ちるのでしょう。この歌を歌うと胸が熱くなります。これからも私に勇気を与えてください。
はるかは復活しました。被災地も人々が安心して暮らせるようになってほしいです。被災地の上であぐらをかいている人を早くどかしてほしいです。

はるか様、お帰りなさい。

私もこの詩を唄うと泪が出そうになります。本当に自分で唄いながら途中で泪が出て唄えなくなるときもあります。色々な思いが走馬燈のように巡ります。

希望と挫折、出逢いと別れ、戻れない過去の沢山の思い出。故郷とは自分自身の心の存在場所なのでしょうか。

大地震で被害を受けた方々が少しでも、普通の暮らしが出来る様に皆が力を合わせないといけないと思います。あの時日本中が「絆」の大合唱でした。「絆」は打ち上げ花火のような煌びやかなものではなく、ずっと心の中で相手を想い続けることだと思うのです。

また、はるか様と色々と語れることを本当に嬉しく思います。これからもどうぞよろしくお願い致します。

こんにちは。
11日のあの時間にラジオ放送に合わせて黙とうしてました。
素敵なお声ですね~。うっとりと聴き入っているうちに、結婚して舅姑の食事の準備中に、この歌をぐすぐす泣きながら歌ったのが思い出されました。
育ったのが、フナも掬えた場所で、街中に嫁いできたので、余計望郷の思いがありました。
あの日から、故郷の事で胸が詰まる思いの人々が、少しでも胸のつかえが無くなる日が来ることを願って止みません。
素敵な歌声をありがとうございました。

ナニワ様、こんばんは。

ふるさとは私達の思い出の中心となり、心のよりどころとなりますね。3.11を迎えるとふるさとに戻れない方々のことを想い辛くなります。

ナニワ様も私と同じ様に田舎で生まれ育ったのですね。その後都会に出ると、生活のギャップを感じました。
ナニワ様のように甘えることのできた両親の元を出て、姑のいる家に嫁ぐとなると気も遣いますし大変だったと思います。ご苦労様です。

今、私に取ってもギターを弾きながら歌を唄うことはストレス発散にもなりますし、歌詞の内容に癒されています。
「ふるさと」聴いて頂いて有り難うございます。

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