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2014年3月31日 (月)

桜と日本人

いよいよ三月も終わりです。

この時期は出会いと別れの時期でもあります。夢や希望、言い知れぬ不安、悲しみを感じながらも、そこに浸ることも許されず、時間が進んでいきます。 周りが慌ただしいだけに、声も上げることができず、一人だけ取り残されているような不安感を持つこともあると思います。

今、日本列島は一気に桜の時期を迎えKazuya_inohています。日本人の中で、やはり桜は特別な花として写るのです。

桜について私達日本人は、その花びらをみながら心の奥底にある情景を思い起こしている気がします。

この心の奥底にある思いとは何だろうと考えていました。その答えを捜している時に、テレビで花見をしている方々のインタビューをみました。「桜は日本人の心ですよ」「武士道と通じる美しさです」と答える方が多かったのには少しびっくりしました。 私自身は、武士道や日本人の心についてあまり理解出来ていません。

桜は武士といわれた少数階級の人々にとっては「散りゆく美」として、ある意味「死」と関連づけられて受け入れられたと思います。 四季のある環境の中で春を待ちわびた多くの日本人(農耕民族)にとって「桜」は「春の象徴」「耕作の時期の知らせ」であり、そこには「生」の喜びがあるのだと思います。 

Photo 散り際の美学を求め「桜」にこだわった少数派に対して、春に生きる喜びをみいだした多数派においては春の象徴は「桜」でも「梅」でも何でもよかったのかもしれないと想像します。 もしそれが逆の思想だったら、つまり農耕で生きる大多数の人々が潔く散ることを思想とすれば、飢饉や災害の時代を生き抜くことはできず日本は消滅していたかも知れないと勝手に考えてしまいます。泥臭くても生き抜く力がなければいけないと思うのです。

士農工商などの身分制度があった時代でも、狭い日本では袖を付き合わせて生きてきたはずです。お互いに影響しあい、春を心待ちにする気持ちはどの階級も一緒だったと思います。 そして現在の日本でも、家庭や会社、職種、地域による違いがあっても、皆が桜の木の下で、その枠を取り払って、楽しむことが出来る。 そのようにして「桜」は日本各地に植えられ、皆が納得する春のシンボルになったと考えるのです。

桜の花は「生」と「死」(あるいは「出会い」と「別れ」)の2つの感情が交差しながら、日本人の心の中に生き続けていくのかも知れません。

桜に春の暖かさを感じながら寂しさも併せ持つ感情は素敵だと思いますし、そのバランスを大切にすべきだと考えます。

久方の光のどけき春の日に しづこころなく花の散るらむ(日の光がこんなにものどかな春の日に、 どうして桜の花は、はらはらと落ち着いた気持ちもなく、散ってしまうのだろうか)〜古今和歌集:紀貫之〜

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

3月も終わりいよいよ桜の季節ですね。

昔から日本では花と言えば桜をさしたように日本人は大変な桜好きだったと思います。長かった冬から解放されて春に一気に花開く桜に生命の息吹を感じたからだと思います。

確かに桜には生のイメージがある反面、死のイメージがつきまといます。「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」という文で始まる文学作品もありますが、桜の美しさに妖艶さや魔性を感じてしまうのかもしれません。また桜の散るイメージが戦前の戦争美化の教育で悪用されたせいで桜に死のイメージを持ってしまうのかもしれません。

戦争の記憶と結びつくためか20世紀には桜を歌った曲は数える程しかありませんが、21世紀になってからは「桜ソング」というジャンルが出来て、若い人達が屈託なく、素直に春の喜びや、人生の節目の出会いと別れの気持ちを込める題材として若い世代に受け入れられているのだと思います。

私も春の命溢れる桜のイメージが大好きです。

いちろ様、こんばんは。
桜は新年度を迎える時に咲きますので、子供の頃から人生の節目節目が桜の開花と一致したのかも知れません。

いちろ様が仰るように「桜ソング」は沢山でていますね。それだけ若い世代にも桜は強烈に印象か残っているのかも知れません。

ただ私がブログに書いたのは、その若い方が花見の席でドンチャン騒ぎをしていて「桜は日本人の・・・」とやたら日本人と関わりがあるように答えたことが不思議だったのです。
なんとなくうわべだけの日本人の定義のような気がして・・・少し心配になったのです。

そうですね、桜は春の息吹、こらから春を迎えることを皆に告げているように思います。綺麗な花です。

「桜と日本人」興味深く読ませてもらいました

仰せのように桜は4月の年度を境とした時期に
咲きますので、別れと出会いが交差すると言えます

武士にとっては桜ではないといけなく
大多数の日本人は実は桜でも梅でも
よかったとのことは大発見でした

桜吹雪のような風景はなくても梅の下で
お酒もおつなものかも知れません

沖縄へは梅のような桜が咲く頃に高齢の母をつれて
訪れたことがあります。いいところでした。

カノンボール様、こんばんは。

桜は日本人にとってやはり特別な花かも知れませんね。4月は日本では新年度の始まりとなりますので、桜はその時期に咲くことで出会いと別れをみてきたのかも知れませんね。

梅の花の下での花見酒も美味しいのかも知れません。沖縄の桜は緋寒桜ですので、ソメイヨシノより梅に近いピンクの花が咲きます。イメージとしては沖縄の桜見に近いかも知れません。

また温かい沖縄にお越し下さいね。コメント頂き有難うございます。これからもよろしくお願い致します。

omoromachiさん おはようございます。
桜、特にソメイヨシノは、枯れ枝のように見えた枝から花が一斉に咲き誇り、花が散ってから若葉が出てあっという間に緑豊かな木になるという、世界的にも類を見ない素晴らしい花だと思います。海外に暮らしていると、時々外国人から、桜を見るにはいつ日本に行けばよいのかと時々聞かれることがあり、答えに少々困ることがあります。
「東京だと3月中下旬から4月の始めにかけてだけど、年によって咲く時期が少し異なるに、ピークは長くて1週間、満開の桜を見る時期を決めるのは少し難しい」と答えることにしています。ただ「桜にも色々な品種があるし、場所によって咲く時期も違う。春に日本に行って、少し情報を集めれば、どこかできれいな桜が見られるはずです」とも答えるようにしています。
やはり桜の花と出会いと別れの季節が重なるので、日本人には思入れが強くなりますね。私もちょうど一時帰国中で、岡山の桜を見て、感想を自分の記事にもしてみました。
桜の歌→同期の桜→軍歌→間違った武士道 っていうような図式が戦後の昭和時代には少しあったのかもしれませんが、むしろ、江戸の飛鳥山の花見(落語でも有名)など町民も春の喜びを迎える花や農家が桜の花のつぼみの膨らみ具合で稲作の準備を始めるといった、春の喜びの花との捉え方のほうが一般的な気がします。
でも、1枚ずつひらひらと花吹雪となりながら、散り行く姿もまた秀逸な花であることも違わないよう思います。
何かまとまりのない文ですみません。それだけ私もやっぱり桜に思い入れが強いのかもしれません。
Khaaw

こんにちは(^_^)
この時期だからこその 桜を背景とした想い出が強く心に残りますね。

20年以上住んでいた社宅は桜並木が見事で
毎年 入学の写真を撮る方や お花見をしに来る方で
その時だけは にぎわっていました(社宅なんですけどね^^)
今は その社宅も閉鎖され 中へ入ることは出来ません。
先日 前を通ったら あの頃と同じように 桜が咲いていて
もう あの桜吹雪の中を歩くことは出来ないんだなぁ…と思うと
とっても切ない気持ちになりました。。

私にとっても 桜はまた違った別れの淋しさがある
想い出深い 特別な花です。
いずれ取り壊される社宅の
あの立派な桜並木だけは なんとか残してほしいと願っています。。
個人的な感想に なってしまいましたね(^^ゞ

難しいことは分かりませんが、桜の蕾がだんだんと膨らんでくるのを見ると、本格的な「春」が来たんだと知ることになります。桜は春告げ花だと単純に思います。だからよろこびにつながるのではないでしょうか。
俺は農家ですが、桜が咲き出すと本格的な農作業がスタートします。

花が散るのは桜だけではなく、ほとんどの花が散ります。確かに群れて散るさくら吹雪のようなことは他の花には見当たりませんが、或いは一斉に散ることを戦前や戦中の国民に植え付けた考えがあったんではとも・・・???あまり、桜を死と結びつけては桜がかわいそうな気がします。

Khaaw様、こんばんは。
日本に一時帰国して、久しぶりに日本の桜をご覧になって楽しまれているようですね。
外国の方の中には写真などを介して、日本の美しい風景の1つに桜があって興味を持っている方も多いと思います。Khaaw様は外国にお住まいですので、お知り合いの方からもそのような質問を受けることが多いのだと改めて思いました。
しばらく日本の桜や美味しい食事が楽しめたらいいですね。

モカラテ様、こんばんは。
そうでしたか、長年住んでいた社宅に桜並木があったのですね。
日本では桜の咲く頃に入学や卒業がありますので、自分自身の子供の時の思い出と共に、今度は子供達の入学・卒業が社宅の桜と一緒にあったのではないでしょうか。 
社宅は老朽化などありますでしょうから、なくなるのは寂しいのですが、立派な桜並木は残っていて欲しいですね。わかる気が致します。

でんでん大将様、こんばんは。
農家にとっては四季折々の変化は特に敏感であると思います。寒い地方で住まわれている皆様にとっては桜は春を告げ、1年の農作業の開始を告げてくれるお花だと思います。
桜を季節を知らせる花して、共に生活しているでんでん大将様が羨ましく思います。私が4月に春を告げる桜をみたのは初めて沖縄を出て、それも予備校に通うために上京した時でした。初めてみた桜に対して、懐かしく思えたのが不思議だったことを憶えています。
桜は私達の都合ではなくて、四季の移り変わりを感じて咲いてくれています。あまり短絡的に死とつなげては、本当に可哀想ですね。
これからでんでん大将様も忙しい時期をお迎えと思います。お体に気をつけて作物をお育て下さい。
コメント有り難うございました。

おはようございます。
満開の桜の木、とくに桜並木の景色は絵のように美しいですネ。

学生時代を京都で過ごしました。
「別れ」と「出会い」の時期に 最初に出会った桜は
京都御所の桜でした。まだヒンヤリした空気の中で見た桜は
場所柄もあり、凜としていて 静かで とても雅な佇まいで、
美しかった事を思い出しています。

私はお酒はあまり好きではありませんが、雰囲気で飲みますので
花見と言って 満開の桜の下で飲むお酒は きっと格別なもの、と想像しています。
桜の楽しみ方は、いろいろありますネ。

桜は 散り方も美しいです。
薄い花びらが 一枚ずつハラハラと 舞うように、吹雪くように、落ちる
この繊細で儚げな様は
桜の魅力を引き立てていて 好きです。

ひさかたの 光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ
桜を見ると 私も この歌が浮かびます。
時代が進み、世の中忙しくなっていますが
桜に心を動かし、思いを同じくする
心には 平安時代も今も変わらないものがあります。

tinkerbellku-ny様、こんにちは。
そうでしたか、大学時代は京都でお過ごしだったのですね。
京都は桜の名所も多いでしょうから、特に風情を感じるかも知れません。最初に出会った桜が京都御所となると日本の歴史や美の奥深さも感じ得たかも知れませんね。

沖縄の避寒桜と違い、色も淡く、花びらも透き通るようで繊細なお花ですね。風に花びらが舞う風景は本当に美しく脳裏や焼き付いています。

こんなに文明が進んでいるはずですが、心の中は平安の時代から何ら変わらない気が致します。

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