公と私の使い分け
最近、「公と私」について考えることが在ります。
先日、公共放送のトップに立った人の会見は余りにお粗末で、役職を背負って会見に臨みながら、これは私ごとと持論を展開したのはビックリしました。
昨日は昨日で内閣補佐官なる方が投稿した動画サイトでの「米批判」を撤回したというニュースがあり、官房長官が個人的な批判は控えるようにと述べたといわれています。
まあこの国のトップも私的といっておきながら、記帳には内○総○大臣○部と書いたとか・・・
いったいこの国は公と私の区別もつかなくなったのかと・・・
個人レベルでも例えば電車内での化粧や大声での電話などは、本来他人に見られたり聞かれてはいけない、ある意味最低限のマナーとして「私」であり、「公」に持ち込んではいけないように考えます。
選挙で選ばれたり、国民の税金でなっている機関で肩書きをもった職員の場合は「私」はあり得ないことです。もし私的な話をするのであれば役職を辞してから発言すべきことなのです。 公人は「公共の利益」を優先し、正義の基準に照らし合わせて言葉を慎重に選びながら発言をしなければならないと思います。
公人が口が軽くては困りますし、簡単に撤回するような内容なら初めから口にしなければいいことなのです。・・・・
ただ何となく公的な発言が重みのあるように考えてしまうのですが、一人の人間として見る場合は「公的な発言」も「私的な発言」も同じ重さと思えます。もし公と私の発言があまりに解離してしまえばその人への不信感に繋がると思うのです。
公と私の使い分けは難しいのですが、いつでも誠実に生きて行きたいです。
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