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2013年12月29日 (日)

死をみつめること

私は職業上沢山の死を看てきました。 愛すべき人との死別はとても辛く自分の人生の全てを失ったように感じると思います。 

Th_12_2 死をみつめることで教えられることがあります。 人は人との繋がりの中で
生きているということ。家族だったり社会がなければ個は存在しないということ。
そして死という誰もが回避出来ない事実を知ることで、時間が永遠でないことを知り、時間の大切さを発見できること。 死や老いを知ることで、命の輝きや尊さ、自然の美しさを改めて感じることが出来ると思うのです。

私は漠然と若い時から「人は時間を生きる動物である」と考えていました。そして自分が年齢を重ねる毎にその思いは確かなものになりつつあります。

私達にとって永遠の命があるのであれば、時間は単なる単位でしかないはずです。しかし死をみつめることで生きている時間を大切にしたいと思えてくるのです。 そして限られた時間の中で少し他人に優しくなりたいと願うのです。

2013年も終わろうとしています。新しい年を迎え、新たな気持ちで、新しい年を歩んでいきたいです。 

この1年沢山の方の素晴らしいブログに出会え、学ばせて貰いました。本当に有難うございした。

皆様、良い年をお迎え下さいね

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。
すばらしい記事を拝読させていただき
本当に感謝です。
メモを取りながら読ませていただきました。
ありがとうございます。

こんばんは。
私はここ数年に何度か生死の境を彷徨ってきました。
幸い、まだ生きろってことで現在に至っておりますが。。。
やはり、両親の死に直面したころから自分の最期を意識するようになりました。
自分の家族に何を残せるか。
財産やお金ではなくて、父親として子に残せるものは何だろうって考えています。
いずれにせよ、人間は死に向かって生きているのは間違いないです。
なので、小さな感動の一瞬一瞬をこれからもできる限り切りとっていきたいです。

ご苦労様です。仕事とはいえ、つらいときもある仕事ですね。
俺の甥は、東京で治療していましたが、脳腫瘍の末期で故郷につれて来ました。もう半年もつかどうかです。俺の妹、その次男も大変つらく過ごしています。若いだけにとても俺もつらいものがあります。

しげまる様、こんばんは。

お褒め頂き有難うございます。1年の最後の方に死について書いたら傷ついたり、失礼になるかと思いながら書きました。

死については辛いのですが、それがあるから人は色々と考える様になったのではないかと思っています。

コメント頂き本当に有難うございます。これからもよろしくお願い致します。

EOSのパパ様、こんばんは。

EOSのパパ様が病気を患いながら色々な思いを綴ったブログの写真と文書を読ませて頂いて、心が温かくなることが多々ありました。 あの優しい思いは病気との関わりもあったのかも知れません。

これからも小さな感動をファインダーを通して表現して下さいね。いつも楽しみにしています。

でんでん大将様、こんばんは。

辛いですね。私は沢山の、その中で若い人の死も沢山診てきました。医師をしていてもやはり辛いです。

手術や技術については慣れなければならない、人の死に対しては慣れてはいけないと自分に言い聞かせてやってきました。

患者さんを看取るとき心の中でいつも声を掛けています。自分ももうすぐ行くから、その時はよろしくと・・・

皆長い短いはあっても有限の時間を生きているのです。だから人生は素晴らしいと思うのです。

omoromachiさん、こんにちは
年の終わりに素敵な記事ありがとうございます。
死をみつめることで命と時間の有難さを知る、本当にそのとおりだと思います。
少子化、核家族化、それに平和と医療技術の発達(この2つは物凄く有難い事です)で日本は、身近な死から最も遠い国の一つになったと思います。
タイに暮らし、周辺の国に行く機会も多いので、日本に居る時より、死に遭遇する機会が増えて、やはり与えられた命と時間の有難さを実感します。
昨日、私の子供と年末年始を利用してバンコクに遊びに来ていた親戚(彼の叔父)との会話がちょうど心に残っていたので、つい紹介したくなりました。
子供「タイは自殺率が高いんです。生まれ変わりを信じてうまくいかなくなると来世を信じてすぐに自殺してしまうんです」
叔父「人生にリセットは絶対きかないよ。リセットがきくなら、おじさんも何度リセットしたかったことか」
家族と一緒に命と時間の有難さを考えながら新しい年を迎えられる幸せを感じています。
今年一年有難うございました。omoromachiさんも良いお年をお迎えください。
Khaaw

Khaaw様、こんばんは。

素敵なお話、有り難うございます。人生にリセットは効きませんが修正は可能ですね。

日本の場合は、ゲームに慣れ親しんだ子供達が現実においても何か問題があればリセットすれば解決できるような安易な考えに陥ることがあると聞いています。 

Khaaw様が言うように核家族化の進んだ日本では身近な人の死さえも経験することがなくなっています。 死への恐怖や厳粛さを知らないことはある意味不幸なことです。

家族と共に命や時間の大切さを再確認したいですね。

来年はタイの情勢が落ち着くこととKhaaw様ご家族にとって幸多き一年になって欲しいとお祈りしています。

いつも深い話有難うございます。
私も30代頃から、クールに死を見つめていました。とは言うものの30代で死ぬのはまだ恐怖心があり、40代で落ち着き、50代から覚悟は出来たつもりですが……。
少なくとも残された者に負担をかけたくないという思いもあり、少しずつ物を減らし始めました。でもまだ遺書も書いておらず、荷物の整理も中途半端ですが、少しずつ少しずつと考えています。
女性の平均寿命の約三分の二を生きて、残りの人生を有意義に、大切に、人に優しく過ごして生きたいと改めて思いました。
いろいろ勉強、考えさせてもらいました。
有難うございました。

島桜様、こんばんは。

死をみつめることは生を感じることでもあります。確かに30、40代と較べると死は身近に感じるようになりました。ただそのように感じていていても「まだ少し先だろう」と思っている所が私の中にもあります。

折角年を重ねたのだから、若い頃のように目くじらを立てずに少し優しくなりたいと思うのです。どんなことでも折れない部分とどんな嵐でも受け流すような柔らかさも持ち合わせたいなと思うのです・・・・欲張りなのでしょうかね 

お互いにいい年の取り方をしたいものですね。頑張って生きて行きましょう

omoromachiさん、

>人は人との繋がりの中で生きているということ。
>家族だったり社会がなければ個は存在しないということ。
ほんとうにそうですね。

「Into the Wild」という映画の中にこんな言葉がでてきます。
「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合ったときだ」

分かち合える誰かがいれば、まさにそれこそが「生きていく力」になるのかもしれません。

2013年も素敵なブログの文章をありがとうございました。
(ブログを読んでネット感染(?)してしまった
 「ストレリチアを見るたびに『嗚呼!! 花の応援団』を思い出してしまう病」は
 もう一生、治りそうもありませんが)

来年もよろしくお願いします。
どうぞ、よいお年をお迎え下さい。

はま様、こんにちは。

本当に当たり前のことかも知れませんが、幸福を感じた時にそれを伝える方がいて初めて幸福を実感出来るのかも知れませんね。
ショーンペン監督の「Into the Wild」私も観ました。どうして人は旅に出るのでしょうか? 新しい場所をみるだけでなく新しい自分を発見するためなのでしょうか? 

ブログを始めて1年経ちましたが、色々なブログも見るようになり新たは発見が沢山ありました。 はま様、1年間有難うございました。

それでは感謝を込めて「花の応援団」的に「はま〜!はま〜!頑張れ!」押念!ってか 良いお年を

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