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2013年10月28日 (月)

我慢すること、許すこと

人はそれぞれの目標や夢があって、そこに向かって進みたいと願っています。その進む速さは人それぞれで「ウサギとカメ」の話ではないけど速く進むことが良いとは必ずしもいえないと思います。Photo

心穏やかに進みたいと願っていても色々な邪念や横やりが入って来ます。心の中で理想を描いても自分1人で歩める訳でなく沢山の人との関わりの中で道を拓くことになります。 

他人から助けられることもあれば足を引っ張られることもあります。 突然嵐が吹いたり霧がかかり視界が閉ざされることもあります。 

そのとき地面に這いつくばって耐えることができるかどうかが要求されます。きっとそんな状況でも、遠くは見えなくても自分の足元の1歩先は必ず見えるはずです。重い荷物を持ってその1歩を踏み出す力が試されます。 

Th_dsc01773 他人の誹謗や無関心が雨に濡れた衣を更に重くしてたった1歩を踏み出せなくなります。 心がもう辞めて引き返して楽になろうよと甘くささやきます。 

それでも大地を踏みしめてあと少し我慢、辛抱するのです。他人から受けた恩を思い返すのです。そして寛容が怒りに満ちた重い心を軽くします。

その瞬間に厚い霧が消え、視界が開けて来ます。許すことで心は自由で軽くなるのです。 

人生はこの繰り返しのような気がします。 

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コメント

 omoromachi様、こんにちは。私は、年を重ねていくと、いろんな体験を積みいろんな人々を見て来たので寛容になり、真実が見えてきて悟りがひらかれるのかと思っていたのですが、気が短くなり、我慢ができなくなり、怒りが沸いてくるときがあります。分かっているのに感情というものはなかなか押さえられないものですね。ただ行動力がなくなり、感情が行動に移らないのでその間に自分をコントロールして、諦めたり、許したり、悟ったりしています。若いときは夢や理想に向かって行動し努力し、感情もそれによってコントロールされていました。誰の人生においても耐えたり、辛抱しなければならないときがありますね。苦しいときこそ夢を諦めないことですね。

はるか様、こんばんは。

仰るとおりだと思います。私も年を重ねる毎に感情のコントロールが上手くなると思っていました。

ただ、若い時と今では怒りに対する感情が変わってきたようにも思えます。 若い時は怒りに対する対象が明白でしたが、今はその対象に対する怒りと共にちっとも成長しない自分への怒りのようなものが一緒に出て来ます。

今は、許しの対象が他者だけではなく自分自身にも向けていることもあるのです。

人間として成長しない自分を許そうと思うことで少し楽になります。

見返りを求めない純粋な夢を追い求める人になりたいと思います。

はるか様。コメントありがとうございました、気持ちが楽になりました。 「夢を諦めないこと」ですね

コメントしようと思ったのですが、いろんな思いが心をよぎり、うまくまとまりません。
それならコメントしなければよいのですが、素通りもできず、ここに足跡を残します。

許すの境地に、私はまだまだ至っていません。
人間として成長し続けられたら、いつかその境地にたどり着くことができるでしょうか。

人を許すこと。自分を許すこと。
頭でわかっても、心から許せるかどうかで、人の幸福は変わるような気がします。

私は相田みつをさんがすきなのですが、
自分が至らず、落ち込んだときなどはよく彼の書を見ます。
一番励まされたのは、「所詮わたしのやること」
え?これなの?と思われるかも知れませんが、私にはツボでした(笑)
これを見ると、なんだか自分が許されたような気がして、気持ちが楽になります。
そして、またがんばろうという気になるのだから、不思議なものですね。

さぼてんの花様、こんばんは。

「いろいろな思いが心をよぎり」・・・わかる気がします。他人にはみえなくとも沢山の経験を積んできた自分が今ここにいるのですよね。

私はまだまだ許すことが当たり前のように出来ないのです。そのことを自分に言い聞かせる為にブログに書いてしまいました。

相田みつをさん私も大好きです。とても慰めになります。

「ぐちをこぼしたっていいがな 弱音を吐いたっていいがな 人間だもの  たまには涙をみせたっていいがな 生きているんだもの」(相田みつを:ぐち) ・・・・

その言葉に慰められて、それからまた夢を求めて歩みだそうと決心するのです

自分自身に自信がなくて他人の一言がとても気になったり、腹を立てたりと心がコロコロと変化していまいます

私の場合は直ぐに諦めてしまうことが多く耐えて一歩踏み出さずに後ずさりしてしまうタイプです。 omoromachi様のように前を向いて一歩踏み出すことができる方を尊敬致します。私には無理です でも頑張ります

「許すことで心は自由で軽くなる」本当にそうだと思います

ririka様、こんばんは。

私の場合はririkaさんよりずっと年はとっていますが、未だに心穏やかにはなれません。

私が一歩踏み出せるようならこの様なブログの内容にはなっていませんのでririkaさんの方が私より前向きかもしれませんよ。

なかなか持続はできませんが「わずかでも許せる瞬間があれば」 心が楽になると思いますますが・・

そう言えば30年ほど前のCMで、野坂昭如さん「み〜んな悩んで大きくなった」とのフレーズを思い出しました。ririkaさんの生まれる前のCMかも知れませんね。

ソクラテスもプラトンもニーチェも「みんな悩んで大きくなった」と信じたものです

omoromachiさん、

>他人から受けた恩を思い返すのです。
>そして寛容が怒りに満ちた重い心を軽くします。
どんなにつらい状況でも、「恩を思い返」せる時って、
ある意味幸せですよね。
どうしてそう思えるのでしょうか?

たとえば、「プレゼントを送る」って一方的に私からあなたへ、だけれど、
苦労して選んだものを相手が心から喜んで受け取ってくれた時って、
どちらがなにをもらっているのでしょう?
モノをもらったのは相手だけれど、
結果的にもっと大きなモノをもらったのは自分かも。

「受けた恩」というけれど、
一方的に受けた恩は結構思い返せないもののような気がします。

前か後かに、相手との間に何かの往復がある。
その往復がどこかにあると、なぜかそれが力になる。
結局は、人と人との繋がりの中で支えられているということなのでしょう。

「寛容」という言葉を見ると、音も似ていますが「海容」という言葉を思い出します。
海のように広い心で相手を許す。

それは、一方的に「許す」なんていう偉そうな行為ではなく、
許すことでやっぱり自分も許されているという、小さな往復がどこかにあるからこそ
できる行為のような気がします。

支離滅裂ですが、思うままに書いてしまいました。
海のように広い心で、でも「自由で軽く」生きていければ、と思っています。

はま様、こんばんは。
人間はやはり人と関わって生きているのだと思いますね。他人の為にと思っていてもそれは巡り巡って自分の為だったりします。

時々自分が情けなくなる時があるのです。そんな時に許す行為が自分を軽くしてくれることがあります。崖っぷちに立たされた時、自分の受けた恩を思い返すと自分が1人でははないと気づくのです。

はま様が書いてある「海容」という言葉を初めて知りました。はま様のブログを覗いた時の世界観がわかるような気がします。

海は広いです。私の住む小さな島からも世界に繋がっています。海のように堂々して、鳥のように自由に羽ばたきたいですね。

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