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2013年8月12日 (月)

平和はボケてなんかいない!

色々な場面で「平和ボケ」なる用語が飛び交うことがあります。

 

平和ボケ」とは何でしょうか? 両極端の意見があると考えます。

 

1つは戦後ぬくぬくと生きてきて、自分たちPhoto

 

 

だけ平和な中で繁栄し、外敵や侵略の危険も気づかない脳天気な人々。世界はこんなに甘くなくて、そこにある危機に気づかないことを言うこともあるのでしょう。 自分たちでは何もしないのに、隣人が全て紳士であり優しく、自分たちに干渉しないし危害を加えないと確信している人々で、現実にはあり得ないということを知っていない無責任論者

 

 

 

もう一つは、周辺諸国の脅威や威嚇に対して自分の小さなメンツを潰されたように勘違いし、力には力で対抗しようと考えている幼稚な人々。 辱めを受けているのに戦争をするぐらいで対応しないと、更に馬鹿にされ続けることになると思っている人々。相手が攻撃できないぐらい軍事力を持たないと心配で仕方がない。相手が核を持っているのであれば核を持たないとやられてしまうという悲観主義者。必要なら核の先制攻撃も辞さない強者で、使用した後、人類そのものが滅ぶことに対する想像力を持たない方々。枕元にナイフか銃を置いていなければ怖くて眠れない人かも知れません。

 

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「平和ボケ」と相手を非難する方はおおよそ上記のようなことを考えていると思います。 両極端の意見をお持ちの方に共通のことは「本当の戦争を知らない」からで、この根底にある思想が平和ボケではないかと考えています。

 

戦争ほど愚かなことはなく知性のかけらもないのです。どんなに挑発されても戦争をしないための、命がけの交渉をしないといけないのです。 些細なことで戦争が始まると若い兵士やそれ以外に子供や非戦闘員が死んで行くのです。 それも内蔵が散り、頭が吹き飛んで死んで行くのです。 戦争をくだした人は地下深くの安全なシェルターの中でコンピューターを見ながら戦争ゲームのボタンを押すのです。

 

平和を維持するために莫大な努力、準備も覚悟も必要です。 

 

平和はボケてなんかいません! 平和に対して失礼です。 第二次大戦の膨大で莫大な犠牲を払って平和を得たのです。

 

終戦記念日が近づいて来ました。私の考えは間違いが多いと思いますが、平和について、命について少し考えたいと思います。私達は多くの犠牲者の上で今生きているのです。

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コメント

omoromachi様、おはようございます

私の周りでも時々平和ボケしていると「・・・から日本は占領されるよ」という会話が聞こえてくることがあります
日本は本当に危険な状況なのでしょうか? 私にはわかりません
夏バテのせいか日常の仕事に追われて何となく生きているように思っていました。 私も1人の日本人として沢山の人の犠牲の上にいま自由に生きていることを考えないといけませんね。 暑い夏に負けないように頑張ります

ririkaさん、おはようございます。
朝の忙しい時にわざわざコメント頂き有り難うございます。

平和ボケについて両方の意見を書いてみました。自由に発言出来ている状況では危機迫る状況にはないと思いますが、平和は知らず知らずのうちに浸食されていて気づいた時には言論の自由も制限されているかも知れません。

両極の意見を上げたのは、どちらの考えもあり全てが正しいとは限りません。 両論の対立が激化して統制が取れなくなると外国から干渉を受ける危険が増してくると思うのです。 平和の維持は単純に軍備の増強ではなくて、平和であり続けるための努力を惜しまないことだと考えています。

omoromachi様、こんにちは。ぼんやりぼけていたところをはっきりとさせていただきました。今こそ私たちは平和について声に出して考えなければなりませんね。広島の市長さんや長崎の市長さんもはっきり声に出して平和を宣言されました。市民の立場に立って平和を維持し生命を粗末にしないことを宣言されました。
仮想の敵を作ったり、勝手な妄想をして議論してもなんにもなりません。過去の事実、今の事実の上にたってどの国人も大切な生命や家族を持っているという前提で話をしなくてはならないと思います。そして、それぞれが平和という言葉を使うけど、願っている平和の中身もしっかり考えなければなりませんね。
戦争でなくなった多くの人たちの魂がこのお盆にこの世に帰ってきます。戦争から生きて帰った人も多くを語らず亡くなっています。この人たちの心の中に何があったのか、考えるお盆と終戦に日になりそうです。

はるか様、こんばんは。

平和について、色々な考えがあると思います。何も考えずに平和は維持できないし、自分の優位を保つために挑発的な態度をとっても憎しみしか生まれません。
 
平和を得るために日本が世界から認められるような国になることが一番大切ではないかと思います。近隣諸国に対しても過去の過ちは認め、この国の礼儀正しさや学問・技術の高さを教えてあげることです。 

ある種の政治家はわざわざ相手が嫌う言葉を使ったり、挑発するような行動をしています。国益を損なう身勝手な行動です。 この思慮のない身勝手な行動の延長上に戦争があるのです。

自衛の手段を持つことは必要ですが、軍事力だけで対抗するのであれば、軍備増強しかなく、軍需産業の思うつぼです。 

個人的にも喧嘩をするより、喧嘩を押さえることの方がもっと勇気や我慢が必要となります。

戦争をするより戦争をしない方がもっと知恵と根気を必要とするのです。

私はどちらかというと前者の平和ボケに属する人間なのだと思います。
平和があたりまえで、平和を前提として生きている。
そうしているうちに、平和というものの本質を見失ってしまうことが最も恐ろしいことなのだと思います。
おっしゃるように、今の平和は過去の歴史的事実の上に成り立ち、そしてそれを維持していくためには努力をし続けていく必要があります。
努力を怠ってしまうことがボケなのですよね。

また、中学生の息子を見ていて感じるのは、後者の平和ボケです。
尖閣諸島をめぐる中国の挑発行為などに対しても、敵意をむき出しにする様子に危惧を感じます。
言っていることはわからないでもないですが、幼い正義感とでもいいましょうか・・・

私も息子も戦争を知らない世代ではありますが、
私の両親は戦時中に子供時代を過ごし、当時のいろいろな体験談を聞いたこともあります。
しかし、息子の世代になるとさらに隔たりがあり、過去の戦争は自分とは縁のない遠いものと感じているのではないでしょうか。
戦争を映画やゲームの中でしか実感したことのない今の子供たちには、案外多いのかもしれません。
終戦記念日が近づく今こそ、平和について考えるいい機会にしたいと思います。

サボテンの花さん、こんばんは。

平和について両端のことを書きましたが、私達はその両方を揺り動いていると思います。

私は戦争経験者の両親の元で生まれましたし、漠然と戦争は嫌だと思って育ちました。 子供の頃、幼くして戦場で散っていった叔父さん達の話も聞かされていましたがピンと来ませんでした。
ところが自分に子供が生まれ、その子らが当時の叔父さん達の年齢になった時、こんな子供が戦場で爆弾を持って走らせられたのか思った時、どんな我慢をしても戦争だけはしてはいけないのだと感じたのです。

私の息子らもやはり、正義感みたいのがあり、後者の平和ボケに近い考えもあるようです。 でも若い頃の正義感は押さえる必要はなくて、「そうは思っても、戦争になったら生身の人が死んで行くんだよ、それも簡単な死に方ではなくて苦しんで死んで行くんだ」と話をすると「それはわかっている」との返事。 

少しずつ大人になりながら他人の痛みをわかるようになれば平和についても深く理解出来るようになるのではと考えています。

コメント頂き、参考になりました。ありがとうございます。

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