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2013年8月

2013年8月25日 (日)

猟奇的な彼女 I Believe

「運命というものは、努力した人に、偶然という橋を架けてくれる」

とても励まされるような言葉ですね。

これは私が言ったのではありません。私が大好きな映画の「猟奇的な彼女」のシーンでおじいさんが主人公に語りかける言葉です。

この「猟奇的な彼女」という韓国映画を初めてみたのは10年ぐらい前だったでしょうか 偶然レンタル屋さんで目にとまったのでついでに借りてきた一本でした。

初の韓国映画でした。最初は期待もしていませんでしたが、見てしばらくするともう完全にこの世界にはまり込んでしまいました。洋画がではあり得ないような場面だったり、余りに複雑すぎる邦画とちがってストレートで単純で強烈でした。

ここまでやるのかと思えるシーン、これは流石にないだろうと思いつつもジーンとさせられたり、涙がポロリとなったり、見終えて「やった!
」と思える映画です。邦画にも洋画にもなかった、単純で奇想天外で深みもあってテンテコ盛りの内容ですが凄く良くまとめられた恋愛(+コメディー?)映画となっています。 「カノン」が流れてきたりと音楽の使い方も良いですよ

彼女(チョン・ジヒョン)が可愛いのです。男性の主人公にはキョヌという名前があるのですが彼女の名前は最後までないのでやはり彼女と紹介するしかありません・・この辺りも面白いです。

「猟奇的彼女」の主題歌はシン・スンフンが作詞・作曲されていて歌も唄っています。凄く素敵な内容で歌も抜群に上手いです。

この歌も大好きです。日本語のカバーはF.O.Hや上新功祐さんなどがカバーしていますが、映画の中で歌っている歌詞とは違うようです。

この歌のギターのコードがわからずに弾くことが出来ませんでしたが、ネットやYou tubeの音楽などから少しずつ拾い集めて弾いて見ました(まだ一部コードが掴めずにいますが・・)

よろしければ聞いて下さい。折角の映画のイメージを損ねたら困りますので、まだこの映画ご覧になっていなければ、お薦めの映画ですのでみて下さいね。

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2013年8月22日 (木)

病棟のタペストリー

今週はお盆のため生け花クラブがありませんでした。 きっとお花の写真を楽しみにされている方がいらっしゃったのではないかと思います。

今日は以前アップできなかった病棟Th_img_0179のタペストリーを紹介したいと思います。 

5階病棟の廊下の角に電話を置くための場所が使われないで空いていました。

昨年退院後間もない患者さんから、趣味で造花などを作っているのでその場所に飾らせてもらえないかと頼まれたのです。  その方は術後の早期の離床訓練のため、病棟を歩いていたのです。痛いのを我慢しながらあと1周と頑張ってリハビリしたのですね。 何かお花など目標となるものがあったら、入院中にリハビリをしている方がそれを見るためにもう1周頑張ろうと思うかも知れないと提案してくれたのです。・・もちろん即OKですと返事をしました。 

その翌日患者さんが病棟に造花を飾ってくれました。その後もクリスマスバージョン、そして年明けも花を飾ってくれました。

Th_img_0180 今回はタペストリーを飾ってくれています。この飾りを紹介出来なかったので今日のブログに載せました。

かなり大きなサイズですので作るのに時間がかかったと思います。 色もカラフルで愛情に満ちています。ハートで一杯です。

ひとつひとつ想いを込めて縫ったのだろうと思います。それを見ながら、昔「キルトに綴る愛」という映画があったことを思い出しました。

大学院生のお孫さんが卒論を書くためにお婆ちゃんの家に居候することになります。その家でキルトを綴る女性達がそれぞれ自分が聞いたり体験した恋愛物語を時代を超えて織り交ぜながら物語りは進められます。 色々と織り交ぜ過ぎたせいか、映画の内容は残念ながらあまり記憶には残りませんでした。

ただ「キルトに綴る愛」というタイトルが新鮮で印象に残っているのです。なんと綺麗な言葉だと・・・英語のタイトルは「How To Make An American Quilt」です。直訳して「アメリカンキルトの作り方」と訳されたら何とも味気ない映画のタイトルになりそうです。 多くの素敵な女性が出る恋愛物語ですが、私は映画よりタイトルが好きなのです。

2013年8月19日 (月)

童謡「ぞうさん」

「ぞうさん」 まど・みちお作詞/團伊玖磨作曲

 ぞうさん             Photo
 ぞうさん             
 おはながながいのね
 そうよ
 かあさんもながいのよ

 ぞうさん 
 ぞうさん
 だれがすきなの
 あのね
 かあさんが すきなのよ

一度は聞いたことのある歌でしょう。突然私が童謡を歌うために書いたのではありません。 私の知人のTさんからこの詩の意味の説明を聞いて、感激しましたのでブログに載せたいと思います。

作詞はまど・みちおさんという方で、1994年に児童文学のノーベル賞と言われる国際アンデルセン賞、作家賞を日本人で初受賞した凄い方だったのですね。昨年、103歳になられました。まど・みちおさんが以前この詩についてご自身で解説されています。
「ぞうの子は、鼻が長いねと悪口を言われた時に、しょげたり腹を立てたりする代わりに、一番好きな母さんも長いのよと、誇りを持って答えた。
それは、ぞうがぞうとして生かされていることが、すばらしいと思っているからです。だからこの歌は、ぞうに生まれてうれしいぞうの歌、と思われたがっているでしょう」 
「目の色が違うから、肌の色が違うから、すばらしい。違うから、仲良くしようということです」 
と解説されているようです。

この詩は私達のアイデンティティについて述べていると思えるのです。 個性や違いを、鼻の長いお母さんをよりどころに持つことで自己を確立しながら、自分と他者の違いも好きになってしまうのでしょう。 本当に凄い歌詞の内容です。

今、世界はグローバル化といいながら、自分の肌や目などの身体的な違いだけでなく、思想的な違いを認めようとしない偏狭な方向に進んでいるのではないかと危惧しています。 

私は違う個性が沢山あるからこの世は素晴らしいのだと思います。違いがあるから楽しい発見があり、学ぶ事も沢山あるのです。そして、どうか私が違うことも認めて欲しいと願うのです。 

今、生きている世界中の人々は人類の起源となる1人の母親(ミトコンドリアイブ)から進化してきました。 それぞれの環境や社会に適応して人間は個性を産み出していったのです。 人類の進化は次第に違いを持つ方向に進んでいます。これが自然の摂理なのでしょう。 人類が築き上げた多様性こそが本来もっとも素晴らしいのだと思えるのです 

皆様はどう思われるのでしょう・・・

(・・・「ぞうさん」の二番目の歌詞でもう1行「そうね、とうさんもすきなのよ」と加えて頂けたら、忘れられがちな父親として、ちょっと嬉しいのだけれど・・・っと思ったりしています

2013年8月12日 (月)

平和はボケてなんかいない!

色々な場面で「平和ボケ」なる用語が飛び交うことがあります。

 

平和ボケ」とは何でしょうか? 両極端の意見があると考えます。

 

1つは戦後ぬくぬくと生きてきて、自分たちPhoto

 

 

だけ平和な中で繁栄し、外敵や侵略の危険も気づかない脳天気な人々。世界はこんなに甘くなくて、そこにある危機に気づかないことを言うこともあるのでしょう。 自分たちでは何もしないのに、隣人が全て紳士であり優しく、自分たちに干渉しないし危害を加えないと確信している人々で、現実にはあり得ないということを知っていない無責任論者

 

 

 

もう一つは、周辺諸国の脅威や威嚇に対して自分の小さなメンツを潰されたように勘違いし、力には力で対抗しようと考えている幼稚な人々。 辱めを受けているのに戦争をするぐらいで対応しないと、更に馬鹿にされ続けることになると思っている人々。相手が攻撃できないぐらい軍事力を持たないと心配で仕方がない。相手が核を持っているのであれば核を持たないとやられてしまうという悲観主義者。必要なら核の先制攻撃も辞さない強者で、使用した後、人類そのものが滅ぶことに対する想像力を持たない方々。枕元にナイフか銃を置いていなければ怖くて眠れない人かも知れません。

 

208

 

 

「平和ボケ」と相手を非難する方はおおよそ上記のようなことを考えていると思います。 両極端の意見をお持ちの方に共通のことは「本当の戦争を知らない」からで、この根底にある思想が平和ボケではないかと考えています。

 

戦争ほど愚かなことはなく知性のかけらもないのです。どんなに挑発されても戦争をしないための、命がけの交渉をしないといけないのです。 些細なことで戦争が始まると若い兵士やそれ以外に子供や非戦闘員が死んで行くのです。 それも内蔵が散り、頭が吹き飛んで死んで行くのです。 戦争をくだした人は地下深くの安全なシェルターの中でコンピューターを見ながら戦争ゲームのボタンを押すのです。

 

平和を維持するために莫大な努力、準備も覚悟も必要です。 

 

平和はボケてなんかいません! 平和に対して失礼です。 第二次大戦の膨大で莫大な犠牲を払って平和を得たのです。

 

終戦記念日が近づいて来ました。私の考えは間違いが多いと思いますが、平和について、命について少し考えたいと思います。私達は多くの犠牲者の上で今生きているのです。

2013年8月 6日 (火)

事実を謙虚に認め、出発しよう

次々と繰り返される、幼稚な政治家の発言にPhoto_2 怒りとともにこの国の行く末を案じてしまいます。 許してはいけない発言を繰り返し、諸外国(何故かこの種の発言をする方は米国には弱い気がしますが・・)からの批判を浴びると、直ぐに言い訳がましい発言、本意ではなかったと責任転換し、最終的には発言が不適切だったとひっくり返してしまいます。

不用意な発言、説明不足だった発言などなど・・・。もし自身が発した言葉を反省するのであれば二度とこの種の発言はしなくなるはずです。 しかし繰り返します。

日本の政治家による慰安婦やナチスの発言。 国際的に見て非常識であり、全く配慮に欠けた意見、個人としても情けなく大人げない発言だと思うのです。

慰安婦にしてもナチスにしても間違いなのです。それを何だかんだと理由をつけて正当化しようとしても、根本的に誤りなのですから、後で言い訳をしてもその発言者の人間性が失墜するだけで、恥の上塗りとしかなりません。

8月6日は日本(広島)に原爆が投下された日です。原爆に正義はないのです。戦争を早く終結させるために必要だったと連合国側、あるいは日本の植民地支配に置かれた中国、朝鮮半島の方の中にもそう思う人がいるかも知れません。

Gau これも上記と同じです。原爆そのものが無差別殺人兵器であり、その後も後遺症を残す非人道的な爆弾です。 ですから原爆を投下した正当性などどの国も、どの人も持っていないのです

日本の政治家も、そして私達も悪いのは悪いのだと認めて、初めて新しい世界を構築出来ると思うのです。

スポーツに政治を持ち込まない。世界各国の共通認識です。ですからサッカーの試合で「歴史を忘れた民族に未来はない」という横断幕は間違いなのです。しかしその内容は世界どの国にとっても正解です

日本だけではなく、どの国も、そして私達個人もそうです。自分の失敗から学ばなければ正しい認識も成長もないのです。

歴史(過去)から学ばない国(個人)に、発展・成長はないと思うのです

8月6日、人類初の原爆でなくなられた方々のご冥福を心からお祈りしますと共に哀悼の意を捧げます。

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