努力が足りないのか
「努力が足りない」とよく耳にします。色々な場面で使われます。叱咤激励のために使われることもありますが、多くは出来なかったことや不十分な時の非難に使われ、言われた本人にとってはつらいことになります。
現代社会は、強者の論理が幅を利かせます。 「努力が足りない」の裏には自分だったらやれるのにあなたには出来ない、やる気がないと結論づけられたりします。
政治家や企業のトップに立つ方の中に、家庭環境に恵まれず、大変な思いや努力をして今の地位を築いた方々がいらっしゃいます。それを前面に出している方も中にはいらっしゃいます。
私には経験したことのないような大変つらい思いをされ、成功されたのかと感服し、そうなりたいと思う方もいます。
しかし、もっとも手に負えないのは、この様な方の行き着く先が「努力したら何でも出来る」という結論になる事が怖く思えてなりません。
一生懸命にやるという「努力」は絶対必要でしょう。しかしその努力に偶然やタイミングが上手くかみ合わないと、今の境遇からは抜け出すことは出来なかったのではないかと考えてしまいます。
「努力が足りない」の中に当然やる気が無いのも多々あるでしょう。しかし「やり方が分からない」「経験不足」「これまで積み上げられた基礎知識が少ない」「アドバイスをくれる仲間(上司)がいない」など色々あるはずです。
政治家や企業のトップに立つ方々が、努力したら偶然でもなくて普通にチャンスがえられる社会をつくって頂けたら良いのに思ってしまいます・・・・・妄想なのでしょうか?
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