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2022年6月26日 (日)

ナポリ旅行No2

ナポリ滞在は僅かで慌ただしく過ごしています。ナポリだけを目的に訪れる通の旅行者もいると思いますが、多くの方は私の様にカプリ島やシチリアあるいはアルベルベーロなどのイタリア南部の中継地としてナポリを訪ねることが多いのではないかと考えています。
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(2014年の旅行)昨日の夜にローマに到着し、本朝早くに高速バスにてナポリに移動。着いてから市内を僅かに観光をしてからナポリ湾の近くのホテルに戻って来ました。 旅行先で美術館や博物館を回るのも好きですが、今回も外観だけ観て終わりになってしまいました・・・我ながら情けない😂 それでも食事を挟んでナポリ湾でくつろぐことに。
ナポリ湾を挟んで向こうに見える山は古代都市ポンペイを一夜にして火山灰で埋めたヴェスヴィオ火山です。波も穏やかで山もなだらかな形をしているためにこの場所が火山帯であることを忘れてしまいます。ただただ穏やかな眺めです。
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ナポリ湾の海岸沿いには遊歩道が整備されていて、ジョギングをしたりして楽しむ方々とすれ違います。道を挟んだ場所は高級住宅地やホテル、レストランなどが軒を並べています。 このような場所に住んでいる方はきっと朝夕にナポリ湾を眺めながら過ごしているのでしょうね・・・羨ましい限りです😃 場所が思い出せないためGoogleMapで検索したら「ナザーリオ・サウロ通り:Via Nazario Sauro」となっているようです。

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ホテルで勧められた「Ciro a Santa Lucia Ristorante Pizzeria」を検索して出かけることに。

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お店の向かいはイタリア国旗が掲げられ警察のような警備員がいましたので公共の施設と思うのですがはっきりしません。
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Ciro a Santa Lucia Ristorante Pizzeriaの店内もよかったのですが、予約していませんので中に入ることは出来ませんでした(中も観てみたかったですが、外の席を案内されました😢)。
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食事を終える頃にはだいぶ日も暮れて来ました。21時頃と思いますが、まだ少し陽が残っています。再度ナポリ湾へと向かいます。偶然ですがスーツ姿のサラリーマンが荷物を持って歩いていました。家路を急ぐのでしょうか? 私の偏見で「ナポリでスーツ姿」は想像出来ませんでした(短パンにTシャツ姿がナポリの中年男性のイメージです🙏)。
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やはりこの風景を見るとナポリも良いものだと改めて思います。私は知りませんが、きっと反対側の高い場所からナポリ湾とヴェスヴィオ火山 にソレントや遠くにカプリ島が見える場所があるのかも知れません。 そんな場所から夜の景色を眺めると本当に美しいかも知れないと想像してしまいます。
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だいぶ陽が暮れていました。
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売店の横にはテーブルや椅子が置いてあり、カップルがお喋りしながら時間を過ごしていました。ナポリは私の様な慌ただしい時間ではなくて「ゆったりとした流れ」の中で更に魅力を感じる街なのかも知れません。
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今回は時間がなくて入りませんでしたが、1996年に出かけた時のナポリ大聖堂と王宮、卵城の写真をスキャナで取り込み画像処理しました。昔はデジタルではありませんので、帰国後写真を現像してボケていて使いもにならないものも多くありました。
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ナポリ大聖堂は今回の旅行では行っていませんので、以前の写真を載せます。ナポリ大聖堂はナポリ市民の信仰の中心として14世紀初頭に完成していたそうです。内部にはナポリの守護聖人ジェンナーロの血液と遺体が安置されています。ナポリで1番威厳のある教会で、洗礼室のフラスコ画などが有名だそうです・・・写真はあっても私の記憶には残っていません😂

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ナポリ王宮(王宮博物館)は1600年に着工したものの、実際には130年以上後になってやっと18世紀にブルボン家出身のカルロス7世が暮らすことになった王宮となっています。現在は王宮博物館として使用されています。記憶にないのですがこの時の博物館の内部の写真はありませんので、きっと入館はしていなかったと思います😅
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卵城(Castel dell`Ovo)は12世紀頃にノルマン朝により建造された城だそうです。古代ローマの詩人ヴェルギリウスが「城内に魔法をかけた卵を埋めたと言う伝説」や「当初城が楕円形だったという逸話」などが城の名前の由来になっているとか諸説ありそうです。 この写真はよく覚えていて、ナポリ湾に突出した城に夕日が当たる姿は神々しささえ感じさせてくれました・・・きっと私の年齢になるともうナポリは出かけることがないかと考えて昔の写真もブログにアップしました(笑)。

2022年6月24日 (金)

今週の生け花(令和4年6月第4週)

昨日は沖縄県は慰霊の日で県の施設や学校や保育園などがお休みだったと思います。そのために職員の中には子供の付き添いでお休みをした方もいました。昔大学病院に勤めて居た時には周りは休みですが、大学病院は国立ですので慰霊の日も公休日にはならずビックリしたことがありました。 

沖縄地方は梅雨も明けて、青い空が見えています。ただ急激に温度も上昇しますので熱中症に注意の時期に入ります。沖縄だけでなく本土にお住まいの方も暑さにまだ身体が慣れていませんので、この時期は熱中症対策が必要となりますので注意してお過ごし下さい。

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今日のお花達は夏をイメージする明るい花々です。上からライトを当てると沖縄の強い日差しと木陰のように感じられます。

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白い百合、黄色の向日葵にピンク色の薔薇、どれもが太陽に向かって咲き誇っています。沢山の元気を貰えそうです。
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強烈な花の中に1点ブルーベリーの青い実が他の花々と距離を置いて眺めているようです。右上方に伸びるブルーベリーのお陰で全体的なバランスが取れているようです。
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<花材:ブルーベリー、百合、ひまわり、薔薇、グルクマの葉>

2022年6月23日 (木)

沖縄慰霊の日:戦後77年

77年前の沖縄戦はウクライナのマリウポリよりももっと悲惨な戦争が3ヶ月続きました。逃げ場のない戦場で今の中学、高校生の年頃の私の叔父さん達は通信兵として砲弾の中で死亡しました。これから希望に満ちた子ども達がいきなり、鉄血勤皇隊・通信兵として壕から壕へと兵隊の通信や食料や銃弾を運ぶ役割として、最も過酷な砲弾が飛び交う地上を走らされ死んで行きました。(→沖縄慰霊の日

どれ程怖かったことか、どれ程無念だったと想像するだけで私は平和を享受し自由に長生きしていることに感謝と共に申し訳なく思うのです。ウクライナの戦争を見るにつけ、沖縄戦がどれ程過酷だったのかと想像出来ます。ウクライナでは少なくても住民は地下シェルターなどで非難することが出来ました(もちろん十分ではありませんが)。時間的余裕があれば国内を移動出来る可能性も残されています。

しかし沖縄戦は3ヶ月の間、日本軍と米軍の戦闘の中で住民は置き去りにされます。米軍も無差別攻撃をしますし身を潜めていた自然壕(ガマ)も日本兵がやってくると追い出されてしまいます。当時の日本兵は住民を守るような教育を受けていなかったと思います。

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ロシアの軍事侵攻と同じことがアジアでも起こると訴える政治家が増加しました。外交よりも軍事増強を叫ぶ方が勢いを増しています。外交努力は相手もあることで、これを続けるのは地味で困難なことも事実です。目立ちはしませんが本来は衝突をどう回避するかが政治家の役割です。

軍事増強はとても簡単です。危機を煽って税金を使えばいいだけです。島嶼防衛として沖縄の島々にミサイルなどが配備されました。しかし島にいる以上戦争になれば何処にも住民は逃げられません。今の日本の自衛隊(何処の国も軍隊もそうでしょうが)では戦争をしながら住民を守ることは無理なことです。日本の島嶼防衛ではまずはミサイル配置が優先で住民の保護は整備されていないのです。

77年前の沖縄戦のことを想像すると戦争は本当に怖いことだと思うのです。戦争ほど無意味でばかげたものはないのです。今日の慰霊の日はもう1度平和の大切さを考える1日にしたいです。

2022年6月22日 (水)

胃や大腸ポリープの癌化率と早期診断の重要性

今日の「いきいきタイム」は大腸癌について話をしました。 日本で胃癌は減少傾向にありますが、大腸癌は食事の欧米化と共に戦後一貫して増加を辿っています(以前のブログに記載しています→ 増え続ける大腸癌

今日は折角ですので大腸癌だけに絞らず胃と大腸のポリープについて書いてみました。

バリウム検査や内視鏡検査でポリープを発見することはよくあります。 ポリープを指摘された場合「いよいよ駄目か」とびっくりする方や「な〜んだポリープ」かと平気な方まで反応が様々です。

では「ポリープ」とはどのようなものでしょう?Th_消化管や口や鼻あるいは女性の膣や子宮などの粘膜から発生する隆起性病変(盛り上がった病変)をポリープと呼んでいます。 胃や大腸のポリープ、子宮頸部ポリープ、鼻にできるポリープ(鼻茸)、声帯ポリープなどが有名でしょうか。 

ポリープの原因は大きく炎症性腫瘍性に分かれ、問題となるのは腫瘍性のうち良性なのか悪性(癌)なのかということになります。

ポリープも範囲が大きいので今回は胃と大腸のポリープの絞って説明します。

胃や大腸のポリープを指摘されたことがある方は多いと思いますが、同じポリープでも癌化の発現率に違いがあります。一般的に胃のポリープは大腸と較べて癌化率は低いです(あくまで一般的であって胃ポリープの中でも癌化するのももあります)。

A:胃ポリープ過形成性ポリープ胃底腺ポリープ腫瘍性ポリープがあります。

A①:胃過形成性ポリープはピロリ菌の感染や慢性の炎症のために粘膜が肥厚し隆起したもので大きさも形も様々です。大きくなって出血したり胃の出口を塞ぐようになると良性でもポリープの切除を勧めます。癌化率は1%程度です。 

A②:胃底腺ポリープは胃底腺と呼ばれる組織が肥大化したもので、小さく多発するのが特徴で検診で最も多く指摘されますが、癌化することはなく大きくも殆どなりません。何もしなくてもよいポリープです。 

A全体としては少ないですが粘膜が腫瘍化してできた腫瘍性ポリープは良性の腺腫が殆どですが癌のこともあり経過を充分行います。癌化率は10%程度ありますのでこの場合は胃のポリープの切除を早めに勧めています

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B:大腸のポリープ過形成ポリープ腫瘍性ポリープに分かれます。

B①:過形成ポリープは腸の粘膜の炎症でポリープ様になったもので一般的に経過観察のみとなります。 

B②:腫瘍性ポリープは良性(腺腫)と悪性(癌)との鑑別が重要になります。 大腸の場合、平坦な粘膜がいきなり癌になることは稀で、多くの場合はポリープが徐々に大きくなり癌化することが一般的です。 このことより大腸癌の予防のためにはこのポリープを見つけて早めに処置をすることが重要となります。


B`大腸のポリープは大きくなればなるほどがんが率が高くなってきます。

大腸ポリープの大きさと癌化率大きさ4mm以下では0.05〜0.1%5〜9mmで7〜8%10〜20mmで20〜30%20mm以上で30〜50%となっています。この殆どが粘膜内にとどまっている癌でポリープを切除するだけで根治が期待できます。30mmを越えると進行癌が多く内視鏡的切除の適応とならないのが殆どです。

近年大腸癌が増加して、女性のがん死亡の第1が大腸癌です(大腸癌>肺癌>膵臓癌>乳癌>胃癌の順)。男性の死亡では第3位です(肺癌>胃癌>大腸癌>膵癌>肝臓癌>前立腺癌の順)。

本来大腸癌は進行もゆっくりで定期の検査(大腸内視鏡など)を行って良性のポリープや早期のがんで発見されれば殆ど治癒出来るがんの1つです。それなのに何故大腸がんが第1の死亡原因になるかと言えば、検査を受けない(受けづらい)ことが原因です。 大腸内視鏡検査は時間もかかりますし、特に女性の方はお尻から挿入される大腸内視鏡検査に抵抗があるかも知れませんが、どうか1度チャレンジしてみて下さい。国民が大腸内視鏡検査を1回でも多くトライすれば大腸癌の死亡率はだいぶ減ると考えています。どうか皆様方も大腸内視鏡検査をトライして下さいね。

2022年6月19日 (日)

ローマからナポリ旅行No1

今回のイタリア旅行記は2014年の旅行を中心に書いています。那覇空港→(東京宿泊)→成田空港→チューリッヒ空港→ローマ着(フィウミチーノ空港FCO:レオナルド・ダ・ヴィンチ空港)。夜にローマに着き、このまま近くのホテルで宿泊となりました(→前回のブログ

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翌朝、空港近くのローマのホテルからナポリへと向かいます。
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ローマからナポリ間は約40Kmで高速で3〜4時間程度で到着します。意外と近いです。
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途中のサービスエリアでトイレ休憩。沢山の美味しそうなパンがありましたが、時間がないのでコーヒーだけ飲んで急いでバスに乗り込みます。
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ナポリ市内に入ると2階建ての観光バスと遭遇。ヨーロッパでよく見かけるタイプの観光バスですが、やはりバスの車体にナポリの字が見えるといよいよ今回の旅行が始まるのだとテンションが高まります⤴️😃
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バスから眺める街の風景も柑橘類や赤いペペローニが吊されているのを見ると南イタリアに来た気分になります。食に疎い私は赤い野菜がつり下がっているのを見ると「唐辛子」しかイメージしないのですが・・・一応南イタリアですので、私も恥をかかない程度に、これは恐らくペペローネ(複数形がペペローニ)ですよと考えることにしています。 2014年の旅行は9月初旬でしたので、丁度8月頃から収穫が始まってこのようにあちらこちらでタコ糸を通したペペローニを観ることになります。
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ホテルにスーツケースを預けて、すぐに昼食です。折角なのでピザの専門店へ。ナポリがピザの発祥と言うだけあってピザの専門店も多いようです。 私の写真の撮り方が悪いのでしょうが、実はこれ凄く大きいのです。 1人前ですが私達日本人では2人前でも多いぐらいの大きさでした。味は凄く美味しいと言う訳でもなく、普通かなという感じでした😅 味音痴の私が言うのも変ですが、意外と日本のピザの専門店も美味しいと思いました。日本で食べているピザの味のレベルが高いせいもあるかも知れません。

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有名なカプリ島への船が出るナポリ湾のすぐ近くに立つ威風堂々としお城は「ヌオーヴォ城」となります。ナポリの観光名所として人気で、世界遺産にも登録されています。時間のある方は見学されて、城の展望台からはナポリ湾やナポリ市内が見渡せるそうです。私もいつか登ってみたいです。
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ナポリの中心部の広場に建つサン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂は最も有名なナポリの観光名所かも知れません。夕方着いたら観光客から地元の人々で多くの人々広場に繰り出して楽しんでしました。 どうあがいても人でいっぱいになる写真しかか撮れませんでした。 上の写真は1996年の旅行の時に早朝に撮った写真です(昔はデジタル写真ではありませんので当時のアルバムの写真をスキャナーで取り込んで加工しました)。本来はもっと暗いのですが、画像を目一杯明るきしました。均整のとれた綺麗な広場とサン・フランチェスコ・ディ・パオラです。


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ナポリで1番有名な?商店街の「ガッレリア・ウンベルトⅠ世」のアーケードの入り口です。どこかの宮殿に入るかのような雰囲気です。

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中心部から街を散策しながらナポリを代表する美しい商店街「ガッレリア・ウンベルトⅠ世」へと向かいます。1890年に完成されたアーケードで、ガラスで囲まれた中央部分は高さが58メートルもあるそうです。ここにも多くの方が周りにいますがすこし上を向けて人が入らないように撮影出来ました。なかなか迫力のある天井ですね。

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アーケードの中央部分から見上げると丸いドーム状の均整のとれた構造となっています。ミラノの「ヴィットリーオ エマヌエーレ2世のガッレリア」と感じが似ていて、このアーケード内ではミラノに来た気分になります。

同じイタリアでも南のナポリと北のミラノでは人々の生活や暮らしぶりや生きる目的も違うのではないかと思う程の同じ民族でも違いを感じます。 日本の南端に住む私としては、暖かい場所で過ごす生活は、時間がルーズでノンビリとしている感じが沖縄ナポリは似ていると考えています。 何となくイタリアの沖縄(=ナポリ)と思いながら街を散策しています😃 ナポリの中を歩くと、腹の出たおやじがTシャツに短パンでサンダルで腰掛けているのを見かけるのに対して、ミラノでは高級なスーツにコーデーネートされた靴や鞄も持って颯爽と歩く如何にも世界のファッションの最先端を歩く方を見かけます。同じ国でも南北に長いと街並みや人々の生活にも違いが出て面白いです。

だからことイタリアは魅力に溢れているのでしょう。治安に不安があっても何度でも行きたくなる魅力溢れるイタリアです😍

2022年6月17日 (金)

今週の生け花(令和4年6月第3週)

今週は全く時間が取れずに、生け花の写真だけは撮りました。花は1日で変化してしまい、その美しさの瞬間は今しか捕らえることが出来ません。文書は書けませんが生け花の写真を楽しんで下さいね😃

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<花材:ヘリコニア、姫水木、リンドウ、姫ヒマワリ>

2022年6月15日 (水)

1994年ブルガリア旅行No2(ソフィア市内)

今日は第3週水曜日でFM放送の担当ではありませんので、医療ネタはありません。日曜日には定期の旅行記を記載しますが、暫くは日曜日はイタリアについて書く予定でいます。なにも記載しないより昔行ったブルガリアの旅行記No2を追記致します(10年前にブルガリアの首都ソフィアの日曜花市としてブログに書いています。懐かしいです😃→ソフィアの日曜花市

私達にとってはブルガリアの国を最初にイメージしてしまうのは、ヨーグルトなどの乳製品でしょうか。黒海に面するバルカン半島にある国で、日本の国土の1/3の面積に約700万人が暮らす小国です。紀元前4000年ぐらいの遺跡も多いとのことで、非常に歴史のある国ですが、ローマ帝国やオスマン帝国に支配されたり、戦後はソビエト連邦の衛星国家として歩んだ複雑な歴史を持っています。

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1989年に共産党政権が崩壊して、ソ連自体も弱体化すると共にその僅かな援助も届かない、ヨーロッパでも最貧国の1つになったと言われています。私が旅行に行った1994年はソビエトからの石油も滞り、ホテルの部屋も暗く、首都ソフィアでも夜は街灯がまばらで暗い状況の国でした。それでも街ゆく人々は素朴で律儀な方が多い印象でした。

次第にこの国も変わって来ていると思います。また素敵なこの国を旅したいと考えているのですが・・・・

昔の写真をスキャナーで取り込んでトリミングして載せて観ます。懐かしい車や街角の風景ですね。

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街のど真ん中にローマ遺跡があったりします。長い間東ローマ帝国の支配下にもあった国の面影でしょうか?。
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街の中心の高台にあるアレフサンドル・ネフスキー教会
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治安はいいと聞いていましたので、暗いホテルから外に出るとこれまた街灯が少なくて首都のメイン通りとも思えないような感じがしました。写真を撮ってホテルに戻って来ました。写真は上手く撮れていませんでしたが、パソコンで処理すると凄く綺麗なライトアップに見えますね(元の写真はかなり暗い写真ですが・・・😅)。
次はブルガリアの観光地としては1番(?)有名なリラの僧院をアップします。

2022年6月12日 (日)

南イタリア旅行の移動(那覇出発〜ローマ〜ナポリ)全日空・スイスインターナショナル航空

2019年の旅行記を書き終えたら(2019年南フランス・バスク地方から帰国)、次の旅行(2020年)は北イタリアを予定していましたので、続けてイタリアの旅行記を書いて行くつもりでいました。 一応2020年も2021年も飛行機の手配やホテルにその他の移動手段も予約をしたのですが、はやりコロナの影響で出発さえ出来ませんでした😢・😭・😹・・😭<百個ぐらい😭マークを並べたいぐらいです>

イタリアには1980年代、1990年代、2010年代の3回出かけたことがあります。ただ毎回表面だけ観ているだけで、未だ本当のイタリアの魅力を知っていないと考えます。イタリアは奥が深いですし、南と北では住む人々の感覚も街の雰囲気も随分と違うようだと感じることがあります。いずれにせよ魅力に満ちたイタリアです。

イタリアの旅行は2014年が最後ですので、この時の旅行を中心に昔のアナログの写真も交えて書いてみたいと思います。

2014年はいつものように仕事を終えて最終便で那覇空港から羽田行きの便に乗り込みました。

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悲しいかな那覇に住んでいると、午前のヨーロッパ便になると多くは前泊しなければなりません。少しでも滞在時間を増やすために、その日は通常の仕事を終了後、タクシーで那覇飛行場に直接向かいました(スーツケースは宅配で宿泊ホテルに送っています)。
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眼下に東京の街の光が見えてきました。もう暫くは病院のことを考えないようにします。心も軽くなり飛行機同様に空を飛んでいる気分です😃
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今回は成田発の午前の便でしたので、東京のホテルから早朝リムジンバスで成田空港に向かいました。昨夜の東京のホテルに着いたのが12時前で、朝6時には出発しましたのでホテルには6時間の滞在しか出来ませんでした。成田で旅行用品を買い足して、スーツケースに入れて登場手続きです。今回はスイスインターナショナル航空のエコノミークラスです。

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ビジネスクラスと違いますので、このようにトレーに載せた食事が提供されます。私は食に無頓着ですので、何を出されてもまず満足致します😃
当然、今回のこの食事も美味しかったです。エコノミークラスでは横になって眠れませんので、時間を潰す方法を考えなければなりません。昔はシリーズものの小説を持って行き、全巻を旅行中に読み終える楽しみがありました。最近はタブレットにこれもシリーズものの映画をメモリーに入る分登録して機内でみるようにしています。映画をだいたい3本ぐらい見ているとヨーロッパも比較的近くなります。
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今回のイタリア旅行はスイスインターナショナル航空ですので、まずは羽田からチューリッヒに到着となります。チューリッヒ国際空港も久々に入ることに。随分と綺麗な空港となっています。
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少し時間がありましたので、カフェでコーヒーを飲んだり、運動がてら飛行場内を散策しました。

Th__20220215100101チューリッヒ空港を17時35分出発の便でゲートの番号も示されたので、搭乗口に向かいます。ローマ着後は次のブログに記載します・・・しばらくはイタリア旅行記を書きたいとおもいますのでどうぞお付き合い下さいチャオ😊

2022年6月10日 (金)

今週の生け花(令和4年6月第2週)

6月も第2週になりましたが、相変わらず雨の多い沖縄地方です。5月の日照時間も過去最小となったそうです。6月も雨や曇りが多く植物の生育にも影響してこないか心配になります。早く沖縄らしくスパッと晴れわたる青空が見たいです😃

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今週の生け花は花が大きいだけに中央の白い芍薬が目立ちます(昔のiPhoneで撮っていますので白飛びして上手くこの美しさを表現出来ませんでした・・と言うか単に私の腕が悪いだけですが・・😅) ブルーベリーの実もまだ青いために青系統の色が主流ですが、ガーベラの赤が際だった存在感を発揮しています。

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白い花器の上に三条の細長い葉があるために上方への広がりを感じます。この葉だけみても種類が分かりませんが、ガマの葉を使っているそうです。
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ブルーベリーは4〜5月頃に花が咲いてこの時期には実はなっているのですね。 もう暫くしたら熟してきて生食したりジャムなどに加工して頂けるのかも知れません。
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全国的にも梅雨時期は落ち着かない天候になると思いますが、体調にも気をつけながら6月を楽しんでゆきたいですね💖
<花材:ブルーベリー、芍薬、ガーベラ、ガマの葉>

2022年6月 8日 (水)

血液はなぜ赤いの?

今日(2022年7月8日)のFMレキオは貧血について話をしました(今週は手術が多く時間がないのでブログの記事は昔書いた記事を再編集しました)。

貧血についてはネットや本に沢山書いてありますのでちょっと違う視点で血液のことを書いてみます。

長い間外科医をしていますとホラー映画などで赤い血が飛び出しても怖くなくて、ナイフなどで刺されたりする残虐シーンがあっても、傷の具合からどのようにすれば助けることができるかとか、これは助からないなとかを考えてしまい、全くもってホラーにならないのです。

でも多くの方は赤い血が吹き出るとビックリすると思うのです。赤い色は人間とって危険な出血を意味し敏感に反応するのです。

Photoさて本題に戻って、この赤い血液(赤血球)にはヘモグロビンという赤色色素が含まれています。このヘモグロビンが酸素の受け渡しに重要な役割を果たしています。ヘモグロビンは鉄を含むヘムという赤い色素と、グロビンというタンパク質からできています。このヘムのために私達の血液は赤いのです。

赤血球が少なくなるが貧血です。色々な貧血はあるのですが、貧血の中で1番多いのは(女性では生理を含めた出血や偏食などで)鉄が足りない鉄欠乏性貧血症です。赤血球の材料となる鉄分が足りないために起こる貧血ですので、鉄分を取るように勧められるのはその為です。

では動物の血はみな赤いのでしょうか? 

動物の血液は赤い色以外に青い色があるのはご存じでしょうか? 

タコやイカ、カニ、エビなどは銅を材料に血液を作っているので青い血液(ヘモシアニン)となるのです。 鉄が酸化して赤くなるように銅の色は10円玉(銅が95%)を思い浮かべたらいいのかも知れませんが銅は酸化すると青色になります。しかしながら漁師さんでもタコやイカを料理しても青い血液を見たことはないはずです。 死んでしまい酸素と結合しなくなったヘモシアニンは無色に変化しますので料理の時には血液が流れても分からないのです。

では青い血液と赤い血液で何が違うのでしょう?

実は酸素を運ぶ力に大きな差があって銅は鉄の10分の1しか酸素の運搬量がありません。 私達ほ乳類などは脳を進化させたため多量の酸素を必要とします。人間の血液は鉄を材料としたため効率よく酸素を取り入れ脳機能を発達させることが可能となったのです。もし人間の血液の材料が銅なら進化はあり得なかったと思われます。

人間の血液の赤さにも意味があったわけです。赤は血の色から生命や情熱、躍動感を感じさせ目立つ色彩です。外傷などで赤い血を見ると一大事ですので赤い色をみるとビックリするのです。赤い血液になった人間はより赤い色に反応するように適合したのかも知れません。

2022年6月 5日 (日)

イギリス・ハワース旅行No2

以前書いたイギリス旅行記で書いていなかったハワースの旅行記を追記します(前回のハワース旅行No1の続きです)

ハワース (Haworth) は、イングランドのウェスト・ヨークシャーにある田舎の村で、観光ルートとしては湖水地方から南下する時に立ち寄るかどうか微妙な場所にあるかも知れません😃 ただし小説が好きな人にとっては外せない場所かも知れません。 『嵐が丘』、『ジェーン・エア』、『ワイルドフェル・ホールの住人』などイギリスのヴィクトリア朝文学史に多大な影響を与えたブロンテ姉妹が住んでいた村で、小説の舞台であるムーアの荒野が広がっています。小説の中の風景を見るために多くの読書ファンが訪れる村だとも考えています。 小説にあまり詳しくありませんのでWikipediaからブロンテ姉妹業績を拝借しました。


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以前、イギリスの旅行記を書いた時に、湖水地方から一気にコッツウォルズの紹介を書いていましたので、その間にあるハワースを主に書き残したいと思います。湖水地方ではビクトリア・ポターが書いた「ピーラーラビット」やあるいはワーズワースの庭」など如何にもイギリスの湖水地方の風景を見てきました。湖水地方を朝にバスで出発し昼には到着となりました。


バスを降りて街の中心地に向かって坂道を歩きます。小さな道の両側にダークブランの石造りの建物が並び風情があります。先に昼食を済ませて、街歩きとこの上にある荒れ地(ムーア)を散策しました。

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観光案内所そばにある大きな教会で、街で1番目立つ建物がハワース・パリッシュ・チャーチ (St Michael and All Angels' Church)でしょうか。 ここはブロンテ姉妹の父パトリック・ブロンテが勤めていた教会となります。教会の裏手は墓地になっていて、スカーボロ(イングランド東北部の街)に埋葬されたアンを除いてブロンテ一家はここに埋葬されています。家族の碑と記念チャペルもあります。

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それ程大きな教会ではありませんが、この時は見学者も少なく静寂な雰囲気でした。
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この教会の直ぐ近くにはブロンテ・パーソネージ博物館 (Brontë Parsonage Museum)があり、ブロンテ一家に関連する展示などがあリますので、小説が好きな方は必見でしょうか?

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ブロンテ・パーソネージ博物館 はブロンテ一家が住んでい建ててものを利用したとのことですが、一家は随分と立派な家に住んでいたのですね。私は内部を見学しませんでしたの詳細は分かりません😢
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博物館の隣にはもう牧草地が続いていて、柵に近づいたらお馬さんが挨拶に来てくれました😃
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時間も余りなかったのですが、折角ここまで来たら「嵐が丘」の世界を感じるために村の囲むムーア(荒地)を歩いてみました。
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なだらかな丘の一本道を上に昇って行くと次第に周りにも民家はなくなって荒野だけがありました。どんよりとした天気で風もありましたので、小説の世界観を味わうことが出来た気がしました。時期が違うのではっきりしませんが、奥に見える赤紫の花々はハワースで有名なヒースかも知れません。

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何となくもの悲しい世界に浸った気になる風景でした。このような景色が小説の「嵐が丘」にも影響を与えたかも知れませんね。

ここを離れて、シェイクスピアの生家のあるストラットフォード・アポン・エイボン(Stratford-upon-Avon)へと向かいました。

2022年6月 3日 (金)

今週の生け花(令和4年6月第1週)

今週から6月に入りました。沖縄県では5月は本当に雨が多かったようです。私の場合はかなりの時間帯、手術場に入っているために大雨や雷が鳴っていても気が付かないことも多々あります。今年は例年より早くゴールデンウィーク期間中に梅雨入りし5月の月降水量は、沖縄、奄美地方では平年の降水量の2倍から3倍になったと発表がありました。また、沖縄・奄美地方では、5月1か月の日照時間は、平年の40%以下にとどまり、那覇は62.7時間、石垣島は71.9時間など、5月としては観測開始以来、最も少ないとのことです。農家さんは大丈夫でしょうか? 殆どを病院で過ごす私は世の中の動きに疎くて情けなくなります😢

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今週の生け花は全体として縦長の構図になっています。房すぐりとレッドジンジャーが花器からかなり上まで伸びています。下方には白に周りに淡いピンクを着けたトルコギキョウが青い葉と共に花器を被っています。全体が中央直線方向の中で薔薇が少し斜めに配置されいます。その橙黄色の薔薇の花がより印象的に映るのが特徴的でした。
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正面で見るのと違い、斜めだと全体はやや横に広がった構図になっていました。随分と見る角度で違う印象を受けます。
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それぞれを単独で見るとどれも鮮やかで、とても生き生きと輝いています。皆素敵ですね〜😉
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<花材:房すぐり、レッドジンジャー、トルコギキョウ、薔薇>

2022年6月 1日 (水)

鼠径ヘルニア

今日のFM放送(FMレキオ、FM21同時生放送:18〜19時)で放送したヘルニアについて話をしました。ヘルニアについては以前書いたので参考にされて下さい→鼠径ヘルニアについて

沢山あるヘルニアの中で外科で対応する機会が多いのは鼠径ヘルニアになります。

俗に脱腸と言われている鼠径(そけい)ヘルニアは子供の病気と思われていますが、実際は子供よりも成人に多くみられます。しかしその発症のメカニズムも治療・手術方法も子供と大人の場合では異なってきます。

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<鼠径ヘルニアの手術方法 >

鼠径ヘルニアと診断されたら治療法は手術しかありませんので手術の次期のご検討をされて下さい。

おおよそ、小学校入学までに起こる小児の鼠径ヘルニアは先天的に鼠径部のヘルニアの通り道が通常より大きいために起こります。それに対し大人ではヘルニアの通り道の筋肉を含めた周囲組織が緩んできてヘルニアが発生します。子供の場合はヘルニアの出口を縛ってしまえば手術は終了で、筋肉をよせたり補強する必要はありません。

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大人では基本的にメッシュという補強用の布を使用して、広がった穴(ヘルニア門)をカバーして修復する手術を行います。そけい部の皮膚を切開して、直接上方から腹膜の上まで剥離してからメッシュを挿入して補強する方法と、腹腔鏡を使って、お腹の中からヘルニアの入り口をメッシュを被せて塞ぐ方法が主流です。

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それぞれ一長一短がありますので、担当医と相談して方法を選択されたらいいと考えます。外科医に取っては両方の手術を理解しないといけないと考えます。最近は何でもかんでも腹腔鏡とかロボット手術に目が向きますが、老外科医の視点からするといつでも開腹や直達法などが出来ないといけないと思うのです。それぞれにメリット、デメリットがありますが、緊急事態(突然の出血、あるいは装置の故障など)で命を救えるかどうかも外科医の経験と技量にかかる場面もあるからなのです。

2022年5月29日 (日)

イギリス旅行記ハワース(England Haworth) : No1

ある方のインスタグラムにイギリス ハワース(England Haworth)の写真が載っていました。そう言えばここは訪ねたことがあったと昔のイギリス旅行記を見たら記載していませんでした。なんとすっ飛ばしてしてしまったようです😅 昔を思い返しながら小説「嵐が丘」「ジェーン・エア」で知られるブロンテ姉妹が過ごしたハワースを紹介したいと思います😊


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ハワース (Haworth) は、イングランドのウェスト・ヨークシャーにある田舎の村で、観光ルートとしては湖水地方から南下する時に立ち寄るかどうか微妙な場所にあるかと考えます😃 ただし小説が好きな人にとっては外せない場所かも知れません。 『嵐が丘』、『ジェーン・エア』、『ワイルドフェル・ホールの住人』などイギリスのヴィクトリア朝文学史に多大な影響を与えたブロンテ姉妹が住んでいた村で、小説の舞台であるムーアの荒野が広がっています。小説の中の風景を見るために多くの読書ファンが訪れる村だとも考えています。 

以前、イギリスの旅行記を書いた時に、湖水地方から一気にコッツウォルズの紹介を書いていましたので、その間にあるハワースを主に書き残したいと思います。湖水地方ではビクトリア・ポターが書いた「ピーラーラビット」やあるいはワーズワースの庭など如何にもイギリスの湖水地方の風景を見てきました。その日もイギリスにしては晴れ渡っていて、気温も暖かい感じを受けていました。早朝湖水地方を出発し南下しました。(以前のブログは→ 英国・湖水地方No1No2(ピーターラビットNo3(ワーズワース)


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バスでの移動でしたのでバスのガラスが映り込んでしまいましたが、長閑な景色に癒されながらハワースへと向かいました。


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3〜4時間もしないうちに空がどんよりとして来て、ハワースに近づく頃には如何にも小説に出てくるような空の色へと変化しました。

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バスを降りて街の中心地に向かって坂道を歩きます。小さな道の両側にダークブランの石造りの建物が並び風情があります

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とても小さな街ですが、石畳の両脇の家々がまた可愛らしく、観光客が多いせいでしょうかレストランやカフェ、土産品店などが沢山あり、日柄ノンビリとたい場所でもあります。


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 教会など博物館を回る前に昼食をとることに。何となく雰囲気のあるレストランですね。
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食事については何時ものように上手く説明出来ませんが、料理の内容を見ても如何にも英国らしい感じがします😅
限られた時間でしたがブロンテ姉妹ゆかりの教会や博物館を回り、急いで ムーア(荒野)まで行きました。しかし雨と強風で写真は上手く撮れない結果となりました。次回紹介致します。

2022年5月27日 (金)

今週の生け花(令和4年5月第4週)

5月も終盤になりました。医療をしているとどうしてもコロナの新規感染者数が気になります。 しかしもう世の中はコロナよりもコロナ以前の社会生活を、元の生活に戻りたいと願って行動しているように思えてきました。 私は職種上でも立場上でも、極端に外出や買い物ましてや飲食などを外で行うことはやっていませんでした。 ただゴールデンウィーク期間中の夕方に自宅から散歩をして、国際通りやその周囲の飲食店や飲酒を提供している地域も回ってみました。 もちろん消毒液やバーティションを設置して対策をとっている店が多くありましたが、観光客や地元の若い人でしょうかマスクなしで飲みながら大声を出して騒いでいるグループもいました。自分と世間のギャップを痛感してしまいました。私などは井の中の蛙で、もう世の中は浮き足だって脱コロナの世界に入っているのだと感じました。 私の頭も軌道修正しなければならないと実感しました。

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今週の生け花は、白い山法師が目立ちます。沖縄では余り見かけませんが、本土の方では6~7月に白い花を咲かせる落葉高木です。ヤマボウシは、本州から九州の山地に自生していて、樹高は5~15mほどに成長します。白い花のように見える部分は総苞 (そうほう) と言って、葉が変化したものです。ヤマボウシの葉は、4~12cmほどのだ円形でやや波うっています。ヤマボウシの果実は熟すと生食でき、紅葉も美しいので人気のある花木です。

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赤い大きなダリアの花も紫の可愛いアガパンサスもどちらかと言うと山ボウシの白を引き立たせる役割になっています。
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今回も少し変わった花器ですね。山ボウシは花びら(苞)が4つですが、6つだとクチナシの花に似ています(私だけか😅)
ではよい週末をお過ごし下さい💖
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<花材:山法師、アガパンサス、ダリア、ハラン、千年木>

2022年5月25日 (水)

血圧の単位

今日のFM「いきいきタイム」の番組は高血圧についての話をしました。

ところで血圧とはなんでしょうか?  人間が生きて行くためには心臓が絶え間なく、収縮と拡張を繰り返して全身に血液を送らなければなりません。心臓から送られた血液はまず動脈を通して全身に供給されて行きます。 血液は水みたいなものですから、遠くへ運ぶためには、水の圧力が必要になります。たとえば、庭の花や木にポンプを使って、散水する光景を思い浮かべてみて下さい。ホースの中の水の圧力がなければ、散水すること出来ないのと同じように、心臓をポンプにたとえると、動脈はそのホースの役目で、このホースの中の圧力のことを血圧と呼んでいます。血圧とは、心臓のポンプ作用によって血液が血管の壁に与える圧力のことになります。

血圧の値・単位は心臓の収縮により血液が全身に押し出された時、上腕(二の腕)の動脈でどれぐらいの圧力があるかを、水銀(Hg)を押し上げる力で測ったものです。最近はデジタル血圧計を使用する機会が多いのですが、今でも病院でショポシュポと目盛りをみながら計っているのは水銀を使った水銀式血圧計です。 mmHg(ミリエイチジー)は血圧の単位です。Hgは化学で習った化学物質の元素記号Hg(水銀)のことです。 つまり血圧が140mmHgならば水銀の柱を140mm=14cm押し上げる圧力があるということです。

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水銀は水俣病の原因となった物質で、あまり良い印象は持てないのですが、非常に有用な物質です。 ではなぜ、水銀は形を変え液体状で扱いやすいのと、ちょうど血圧を測るのによい高さになるからです。水銀は水の重さの13.6倍ありますので、水銀の140mmHgは水の圧力に直すと140mm×13.6(水銀の比重)=1904mmとなり水で血圧を測ろうとすると血圧計の高さは1m90cmあまりになってしまい、2メートル以上の血圧計を持ち運ばなければならないので、実用的でないのですね。それらのことから血圧の単位は水銀の目盛りを使い、その水銀を持ち上げる単位となったのです。(例えは悪いのですが、動脈を切った瞬間には140mmHgの血圧の方なら2メートル近い高さまでピューと飛び出してしまいます)

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そういえば色々なものが水銀計からデジタルに変わりましたね。時代は常に進歩するのです。人間の心も進化して戦争のない平和な時代になって欲しいものです💖

 

2022年5月22日 (日)

1990年バルト海クルーズ(ストックホルム→ヘルシンキ)

スウェーデンの首都ストックホルムからフィンランドの首都ヘルシンキへの移動は飛行機だと約1時間程度です。陸路では湾を回り込まないといけませんが、そこで便利でおすすめなのが船でバルト海を横切る移動です。

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船の旅では12時間程度かかりますが、利用して欲しいのは夕方出航し朝に着く船旅です。1泊ですが豪華客船に乗り込む旅ができます。この時客船での移動は初めての経験でした。


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毎日双方向に大きなフェリー船(豪華客船)がでています。夕方16時半にストックホルムから出港しヘルシンキに着いたのは翌日の午前10時 頃に着く船旅です(フィンランド時間:ストックホルムとヘルシンキでは1時間の時差があります) 。
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毎日スウェーデン~フィンランド間を運航する主なクルーズ船がViking Line (ヴァイキングライン) か Silja Line (シリアライン)があるようです。私はヴァイキングラインを利用しました。

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ネットで調べたらバイキングラインは今も営業しているようです。新しいヴァイキングラインのホームページをみたらこの船とは違うようでしたので、あれから30年以上経っていますので引退しているかも知れません。
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バルト海には小さな島があります。上の写真の小さな島には家が建っています。個人の所有なのでしょうか?
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これ何処だと思いますか? 船内で7〜9階ぐらいの吹き抜けの空間でした。その両側にあるお店は免税品店で、高級ブランド品が沢山並んでいました。当時から買い物に興味のない私はスルーですが・・・船内にはカジノや映画館もあり、動く海上都市のイメージでした😲
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後方のデッキでバルト海の夕陽をみながら過ごしました。客室も綺麗だったはずですが(もう記憶の彼方です)、なんと1枚も写真を撮っていませんでした😭(今なら船室の中や食事風景も撮っていたかも知れませんが・・)
夕食も豪華ですし、個室ですし、内海だからなのか分かりませんが、全く揺れも感じませんでした。船内で楽しく快適に過ごしているとあっという間にフィンランドの首都、ヘルシンキに到着。初めての1泊の船旅も満足して最後の目的地ヘルシンキの観光です。
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ヘルシンキの港が見えて来ました。フィンランドはスウェーデンより時間が1時間進んでいるので、ヘルシンキに着いたら時計を1時間早めることをお忘れなくです。

(ヘルシンキ港は2016年のバルト三国・ポーランドの旅でヘルシンキ港からエストニアのタリン港へ2時間半の船旅を経験しました→ヘルシンキからタリンへ

2022年5月20日 (金)

今週の生け花(令和4年5月第3週)

5月のゴールデンウィーク期間中に梅雨入りした沖縄県ですが、今日も1日雨模様です。ゴールデンウィーク後に新型コロナウイルス感染症の新規感染者が更に増加すると予想していた通り、沖縄県では現在感染者数が高止まりの状態です。 これだけ多くなると医療者の職員が感染に気をつけても子供さんなど家族の方が感染し、濃厚接触者となって出勤できない職員が必ず出て来ます。 感染対策に人手がとられる状況で出勤できない職員が出ると病院はいつも大変な状況が続いています。 どうにか早く収まって欲しいです。
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今週の生け花は、岩をくりぬいたような花器に真っ直ぐに伸びる紫のギガンジュームと黄色のひまわりが特徴的です。
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花器とギガンジュームとひまわりで骨格をなしていますが、その間から柔らかい赤い花をみせているのが金宝樹です。千年木の赤いスジのある葉もマッチしています。 ひまわりの生命力に満ちた黄色の花と対比しているのが左側にある苔松桔梗です。生と死、老と若の対比のようにも感じます。

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個別に近くで見ると特徴のある花々です。千年木の葉もこのような種類もあるのですね。不思議らなストライプです。


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少し上から眺めると影も出て落ち着いた印象を持ちました。

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白黒にすると更に落ち着いた雰囲気となりました。梅雨のジメジメした感じを吹き飛ばしたいです😃
<花材:ギガンジューム、ひまわり、金宝樹、千年木。苔松桔梗>

2022年5月18日 (水)

1990年スウェーデン観光。

(1990年の旅行の健忘録です)ノルウェーの首都オスロ(→前回のノルウェー旅行記)からスウェーデンの首都ストックホルムまでの移動は電車で6時間程度かかりますが、車窓を眺めながら過ごしていたら思ったより近いと実感しました。 夕方に到着し食事をはホテルに移動でした。翌朝から市内観光となりました。

当時としては長らくフィンランドと共に中立政策を保って来たのですが、今回のロシアのウクライナ侵攻を受けてノルウェーとフィンランドがNATOへの参加を表明しています。 地図で確認すると北欧の3ヶ国の中でロシアとの国境線を持たないのはスウェーデンだけで、フィンランドはまさしくロシアの隣国ですし、ノルウェーも僅かですがバレンツ海でロシアと国境を接しています。ロシアの愚かな侵略はNATOの拡大の阻止にありましたが、逆にNATOの拡大を進める結果となっています。

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上の地図のようにストックホルムは広い平原ではなくて実は大小様々な14の島から形成されています。島と言っても橋で繫がっていてそれぞれが近いので通っていても陸続きのように感じてしまいます。



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ストックホルムに到着後、街で一番高いところにあり眺めのよいセーデルマルム地区に向かいました。 セーデルマルムは今でも若者でいつも賑わう話題のお店が立ち並んでいるそうです。最近のストックホルムの写真をネットで見たら手前の旗が同じ様になびいていたのはびっくりしました😊
入り組んだ海の間に島々があるのが伺うことが出来ます。ここが一番高い所と言うのでストックホルムは殆ど平坦な低地にあることが分かります。そこから海の対岸に見えた旧市街地の散策に出かけました。



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ストックホルム観光のメインでもある「旧市街(ガムラ スタン)」の散策ですが、ここを中心に観光スポットが多数あるので便利です。ガムラスタン (Gamla stan) はスウェーデン・ストックホルムの旧市街で、ストッホルムの島の1つ「スターズホルメン島」を占めている。『古い街』を意味し、他に「橋の間の街」(Staden mellan broarna)と呼ばれることもあるとWikipediaに書いたありました。  上の正面に見えているガラムスタンにある大聖堂(Storkykam)となっています。


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北欧らしく一つ一つが大きな建物ですが、統一感があって街が綺麗に見えます。
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ノーベル賞の晩餐会が開かれる事で知られるストックホルム市庁舎(Stadshus)となります。毎年ノーベル賞の記念晩餐会が行われる場所で多くの方がご存じの建物と思います。ナショナル・ロマンティシズム建築の傑作としても知られるそうですが、それ程古い建物ではなくて、1909年から1923年にかけて建築されたとのことです。

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30年以上前の写真をスキャナーで取り込んだのですが、画質が悪くて済みません。一応上の「青の間」(写真)ではノーベル賞晩餐会も開催されます😓
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歴代のスウェーデン国王が眠るリッダーホルム教会です。13世紀にフランチェスコ会修道院を改築して建てられています。こちらは歴史が古そうです。丁度ガムラスタンの端の方にあります。

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僅かな滞在で夕方にはストックホルムからフィンランドのヘルシンキに豪華客船に乗り込み一晩の滞在クルーズの移動となります。

2022年5月15日 (日)

個人的な沖縄復帰50年目の思い

今日5月15日は沖縄が日本本土に復帰した記念日です。あれから50年を迎えました。復帰は私の中学の時で、これまで使っていた米ドルから日本円に変わり、指で感じる紙幣の差を今でも覚えています。

沖縄は今でも本土との経済格差や差別の問題、基地の問題など多くの問題を抱えています。それを書いたら膨大の量になると考えています(今回以前書いたブログを久々に読み返しました。関連する記事を赤い字でリンクしておきます)。

1945年米軍が上陸し唯一陸上戦を展開して、有形、無形とわず多くものが破壊された沖縄でした(→沖縄慰霊の日→沖縄戦から70年)。美しい那覇の街並みも丁度ウクライナ戦争のマリウポリのように 破壊され尽くされてました。  

1952年のサンフランシスコ講和条約により、日本の主権・平等を認める代わりに、沖縄・小笠原を米国は支配下におくことが承認されました。

占領下の沖縄では日本語教育から英語教育への変換も試みたようですが、これをどうにか拒否して日本本土と同じ教科書を使い勉強出来たのは、幸運なことだと私は考えています。 米国に屈して英語教育を受けていたら、私もきっとネイティブな英語を喋っていたのかも知れません。 その方がグローバルな現在では良かったんじゃないか、復帰せずにグアムのような米国領となった方が良かったと考える方もいるかも知れません。 私は全く同意しません 

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言葉は文化であり、言葉は心(思想)を体現化するものです。人が人であるための考え、感性を磨くのが言語です。

グローバル社会で英語教育が重要だと叫ばれています。英語が使えることはとても視野が広がると考えています。しかし重要なのは英語圏の小学生が使える程度の会話を習得するよりも考える力を獲得する方が大切だと思うのです。 単なる翻訳はこれから進歩するAIにまかせればいいと考えています。あと10年20年もすればタブレット端末で異なる言語の同時会話が可能になると考えています(→語学力とグローバル力の違い)。

時々、本土の方(沖縄でも知らない方もいます)が沖縄の言葉が理解しにくいために、日本語と違うと考えている方もいます。沖縄の方言(ウチナーグチ)は日本語の1方言に過ぎないのです。中国語や英語ではありません。 

沖縄の方言には今でも京都の古語が沢山残っています(→以前のブログ)。もしも米国占領の沖縄で、米国が望む英語教育に代わってしまっていたら、これまで脈々と先祖から繋がった言葉(=文化や思考)を失うことになったのかもしれません。

高校卒業後、初めて沖縄を離れて東京の予備校へ。その時の予備校の仲間から「英語は勉強しなくても満点だよね」と言われたことがありました。恐らく多くの本土の方は沖縄では復帰まで英語教育を受けたと勘違いしていたのかも知れません。

私は戦後の沖縄、それも田舎の村に生まれ育ちました。田舎のお陰で、電気や水道、電話などが子供の頃にない時代を覚えています。子供の仕事として井戸の水汲みなども経験しました。素朴でも一生懸命働くことの大切さを教えて貰った方々がいました(→汗水垂らして働く) 。ユニセフからの脱脂粉乳や小さなパンも経験しました(「1つのパン」がつなぐ社会) 

短期間に色々な生活が激変してゆく過程を実際に経験することが出来ました。電気の明かり、白熱球から蛍光灯に変わった瞬間の家の様子、水道が通った日のこと。高校までキビ畑をはじめ農作業の経験や家畜の世話など。初めて沖縄を出て東京の予備校で過ごした時期の挫折感や孤独も経験しました(→クリスマスに思うこと)。

そして社会的には民主主義国家である米国が占領下では民主主義的でないことキリスト教徒と称する方が自分の利益を守る為に戦争を行うこと差別された側がより弱い立場を差別する構造。復帰前、復帰後の子供時代に色々な貴重な経験をさせてくれたのが沖縄でした(→何度も繰り返される悲劇)。

今日、復帰50年目を迎えた沖縄。今でも多くの矛盾を抱えたこの地から、冷静な目で日本や世界の動きみてゆきたいと願うのです(→復帰45周年)。

沖縄にとって必ずしもいいとは思えない戦中・戦後の歩みですが、私個人にとっては他の地域で生まれていたら味わえない経験を数多く学べた沖縄に感謝したいです。平和や自由・平等が如何に大切なものか、そしてこれを維持するのは破壊することよりも忍耐が必要であることを卓上の学問からではなく、肌感覚で感じ取れたのが沖縄だったのです。

今日は復帰50年の記念日ですが、明日からもなにも変わらない日常が続きます。その1日1日を愛おしく大切に生き続けたいのです💖

 

<P.S>

愛の反対は憎しみではなく、無関心です(The opposite of love is not hate, it’s indifference.)。しかし関心を持つことは喜びと共に苦しいこともあるのです。いつかこれを乗り越える力を持ちたいと願うのです。

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