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2026年7月12日 (日)

コインブラからポルトへ(ボリャン市場、サント・イルデフォンソ教会など)

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コインブラから列車に乗り、今回のポルトガル旅行で最も楽しみにしていた街、ポルトへと向かいました。

これまで写真や映像で何度も見てきたポルトですが、実際に訪れるのは今回が初めてです。美しい街並み、ドウロ川に架かる橋、歴史ある教会や建物など、見てみたい場所がいくつもありました。

列車がポルトに近づくにつれて、「いよいよ念願のポルトに到着するのだ」と、自然に気持ちが高まってきました。



<ポルト・カンパニャン駅>
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コインブラからのバスが到着したのは、ポルトの玄関口の一つであるカンパニャン駅です。

正式にはポルト・カンパニャン・インターモーダル・ターミナルと呼ばれ、鉄道だけでなく、地下鉄やバスなどが乗り入れる交通の拠点となっています。

駅に降り立った時点では、まだポルトらしい古い街並みはあまり見えてきません。それでも、初めて訪れる街の駅に立つと、これからどのような風景に出会えるのだろうという期待が膨らみます。

今回の1、2泊目はポルトの民宿となっていますので、チェックインの前にさっそくポルトの中心部を歩き始めました。


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<érola do Bolhão>
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街を歩いていると、ひときわ目を引く美しい建物が現れました。

「ア・ペロラ・ド・ボリャン(A Pérola do Bolhão)」という、1917年創業の老舗食料品店です。

店名は日本語にすると「ボリャンの真珠」といった意味になるのでしょうか。その名のとおり、周囲の建物の中でも独特の輝きを放っています。

外壁を飾るのは、青や黄色を基調としたアール・ヌーヴォー様式のアズレージョです。スパイス交易や異国の果物を思わせる人物や植物が描かれ、かつてポルトガルが海を越えて世界とつながっていた歴史を感じさせます。


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店内には、ポルトガル産のワインやチーズ、ナッツ、ドライフルーツ、缶詰などが所狭しと並んでいます。昔ながらの食料品店でありながら、商品のパッケージもしゃれていて、お土産を探す店としても人気があるようです。

ポルトでは、こうした何気ない商店の外観にも見事な装飾が施されています。街を歩いているだけで次々と美しい建物が現れるため、そのたびに足を止めて写真を撮り、なかなか前へ進めません。

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<ボリャン市場>
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ア・ペロラ・ド・ボリャンのすぐ近くにあるのが、ポルト市民の台所として親しまれてきたボリャン市場(Mercado do Bolhão)です。

1839年に創設された歴史ある市場で、長期間にわたる大規模な改修を経て、2022年に再び開場しました。

歴史ある建物の雰囲気を残しながら、内部は明るく清潔で、近代的な市場へと生まれ変わっています。

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上階の回廊から市場全体を眺めると、建物の美しい構造がよく分かります。

昔ながらの市場の賑わいを残しながら、衛生的で利用しやすい空間に改修されていました。観光客のためだけにつくられた場所ではなく、今も地元の人々の暮らしの中に息づいているところが、ボリャン市場の魅力なのだと思います。

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中央の広い空間を囲むように、野菜や果物、鮮魚、肉、チーズ、ハム、パン、花などを扱う店が並んでいました。

店先には色鮮やかな食材がきれいに並べられ、市場全体が一つの大きな展示会場のようにも見えます。地元の方の日常を支える市場である一方で、旅行者も気軽に歩き回ることができる開放的な雰囲気です。

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ポルトガル名物のイワシやタコの缶詰、ポートワイン、オリーブオイル、伝統菓子なども並んでいます。

缶詰といっても、日本で普段見かける実用品という印象とは少し違い、どれも絵柄や色使いが美しく、お土産として持ち帰りたくなるものばかりでした。

市場内には、新鮮な魚介類や生ハムなどをその場で味わえる店もあります。ポートワインや地ビールを片手に、市場の食材を楽しんでいる人たちの姿も見られました。

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<カフェ・マジェスティック (Majestic Café)>

ボリャン市場からサンタ・カタリーナ通りを歩いていくと、ポルトを代表する老舗カフェ「カフェ・マジェスティック(Majestic Café)」があります。

1921年創業のカフェで、アール・ヌーヴォー様式の華麗な内装から、「世界で最も美しいカフェ」の一つにも数えられています。

外から眺めただけでも、ここが普通のカフェではないことが分かります。木彫りの装飾や大きな鏡、シャンデリア、革張りの椅子などが並ぶ店内には、1920年代の華やかなベル・エポックの雰囲気が残されています。

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かつては作家や芸術家、政治家たちが集まり、語り合う社交場でもあったそうです。ポルトに滞在していた頃のJ・K・ローリングが、このカフェで『ハリー・ポッター』の構想を練ったとも伝えられています。

ポルトガル風フレンチトーストの「ラバナーダ」も名物ですが、観光客にも大変人気があり、店の前には多くの人が集まっていました。

カフェというよりも、ポルトの文化と歴史そのものを今に伝える場所のように感じられます。

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<サント・イルデフォンソ教会>
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さらに歩いていくと、階段の上に青と白のアズレージョで覆われた教会が見えてきました。

サント・イルデフォンソ教会(Igreja de Santo Ildefonso)です。

1739年に完成したバロック様式の教会で、正面に並ぶ二つの鐘楼が印象的です。教会の壁面を覆う約1万1,000枚のアズレージョは、1932年に芸術家ジョルジェ・コラソによって制作されたものです。

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青と白のタイルには、聖イルデフォンソの生涯や聖書の場面が描かれています。

建物の正面全体が一枚の大きな絵画のようで、近くから見ると一枚一枚のタイルの細かな描写に驚かされますが、少し離れて眺めると鐘楼を含めた教会全体が美しく調和しています。

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ポルトでは、アズレージョで飾られた建物を街のあちらこちらで見ることができます。

それは単なる装飾ではなく、この街の歴史や信仰、人々の暮らしを伝える大切な文化なのだと思います。

ポルトに到着してから、まだそれほど時間はたっていません。それでも、老舗の食料品店、市民の台所、華やかなカフェ、そしてアズレージョに覆われた教会と、次々にポルトらしい風景に出会うことができました。

坂道や石畳を歩くのは少々大変ですが、角を曲がるたびに新しい景色が現れます。長い間楽しみにしていた初めてのポルトは、歩き始めたその日から、期待していた以上に美しく魅力的な街でした。

2026年7月10日 (金)

今週の生け花(令和8年7月第2週)

台風9号の動きや影響が気になります。今日も時間が取れませんでしたので写真だけアップいたします。

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<花材:雲竜柳、唐辛子、アンスリウム、ひまわり、源平草>

2026年7月 8日 (水)

夏の太陽と紫外線 〜肌を守るために知っておきたいこと〜

7月に入り、沖縄でも強い日差しが続く季節となりました。夏になると熱中症対策が大切になりますが、もう一つ忘れてはいけないのが「紫外線対策」です。特に沖縄の夏は長く、日差しも強いため、皮膚や目への影響を考えておく必要があります。

太陽の光は、私たちにとってなくてはならないものです。植物の光合成を助け、私たちの体では骨を作るために必要なビタミンDの合成にも関わっています。一方で、浴びすぎると日焼け、シミ、シワ、さらには皮膚がんや白内障などのリスクにもつながります。

太陽光線は、大きく分けると赤外線、可視光線、紫外線に分けられます。私たちの目に見えるのは可視光線で、虹の七色にあたる部分です。その外側にある見えない光が、赤外線と紫外線です。赤外線は温かさを感じさせる光で、紫外線は皮膚に大きな影響を与える光です。

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太陽から出る光を、赤外線・可視光線・紫外線に分けて示す図。可視光線は虹色で表し、その外側に「赤外線」「紫外線」を配置する。紫外線が皮膚や目に届くイメージを入れると分かりやすい。

紫外線には、UVA、UVB、UVCの3種類があります。UVAは皮膚の深い部分、真皮にまで届き、肌を黒くしたり、長い年月をかけてシワやたるみの原因となったりします。UVBは主に皮膚の浅い部分に作用し、赤くヒリヒリする日焼けを起こします。UVCは最も強い紫外線ですが、通常はオゾン層に吸収され、地上にはほとんど届きません。

皮膚は、実は体の中で最も大きく重い臓器です。表面から順に、表皮、真皮、皮下脂肪組織に分かれています。表皮では新しい細胞が作られ、少しずつ表面へ押し上げられ、最後は垢として剥がれ落ちます。この入れ替わりのサイクルが整っていることで、皮膚は健康な状態を保っています。

日焼けで皮膚が黒くなるのは、メラニンという色素が関係しています。紫外線を浴びると、表皮にあるメラノサイトという細胞がメラニンを作ります。メラニンは紫外線から皮膚を守る役割を持っていますが、過剰に作られたり、うまく排出されなかったりすると、シミの原因になります。

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皮膚を断面図で描き、上から「表皮」「真皮」「皮下脂肪組織」を示す。UVBは表皮まで、UVAは真皮まで届く矢印で表現する。表皮内にメラノサイトを描き、メラニンが作られる様子を入れる。

また、紫外線はすべて悪いわけではありません。乾癬やアトピー性皮膚炎などでは、日光が良い方向に働く場合もあります。紫外線には皮膚の細胞増殖を抑えたり、過剰な免疫反応を抑えたりする作用があるためです。ただし、日光で悪化する皮膚病や、薬によって日光過敏を起こす場合もあります。日光に当たった部分が赤くなる、かゆくなる、水ぶくれができるなどの症状がある場合は、自己判断せず医師に相談してください。

紫外線対策としては、午前10時から午後2時頃の外出をできるだけ避けること、帽子や日傘、サングラス、長袖の衣類を利用することが大切です。日焼け止めも有効ですが、汗で流れ落ちるため、3〜4時間ごとに塗り直すことをおすすめします。

沖縄の夏は、太陽の恵みを感じられる季節です。しかし、無防備に浴び続けると、皮膚や目に負担をかけてしまいます。日差しと上手につき合いながら、健康に夏を乗り切りましょう。

2026年7月 5日 (日)

コインブラ大学(後半:サン・ミゲル礼拝堂、大儀式の間など)、新カテドラル

コインブラ大学の続きとなります。『前回は➡︎コインブラ大学(前半)

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コインブラ大学が世界遺産として評価されているのは、建物単体の美しさだけでなく、大学と街が一体となって発展してきた歴史そのものに価値があるからだと思います。その中でもジョアニナ図書館は、学問と権威、そして美意識が一つに凝縮された場所のように感じました。
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図書館を見学した後は、同じコインブラ大学構内にあるサン・ミゲル礼拝堂(Capela de São Miguel)へ移動しました。

まず入ってすぐに、壁一面が装飾タイルで覆われた空間が目に飛び込んできます。ここは大学構内にある礼拝堂で、もともとは旧王宮の私的な祈りの場として使われていたそうです。現在の姿は16世紀以降の改修を経て整えられ、マヌエル様式やバロック様式が混ざり合った、とても華やかな空間となっています。

こぢんまりとした礼拝堂なのですが、一歩足を踏み入れると、床から天井まで隙間なく施された装飾に圧倒されます。

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礼拝堂の主な見どころとしては、①アズレージョ(装飾タイル)、②バロック様式のパイプオルガン、③天井画と正面扉が挙げられていましたので、このあたりを意識しながら見学することにしました😆

 

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天井には、ポルトガル王室の紋章や天球儀などが描かれています。大航海時代の繁栄を思わせるモチーフもあり、16世紀当時の色彩が今も鮮やかに残っているように感じられました。壁のタイルに目を奪われがちですが、天井も本当に美しいので、ここも要チェックです。

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そして、この礼拝堂で最も印象に残ったのが、水平に突き出すパイプオルガンです。

1737年、ジョアン5世の命により造られたバロック様式のオルガンで、2000本を超えるパイプを備えているそうです。金箔を施した木彫りの装飾は豪華絢爛で、よく見ると東洋風、いわゆるシノワズリの雰囲気も感じられます。礼拝堂そのものはそれほど大きくないため、このオルガンの存在感はかなり強烈です。

現在でもコンサートや儀式で実際に演奏されているとのことでした。一度でいいので、この空間に響く音を聴いてみたかったです。

*少し補足すると、このようにラッパ状の管が水平に突き出しているオルガンは、イベリア半島のオルガンに見られる特徴の一つだそうです。普通のパイプオルガンは上に向かってパイプが伸びている印象がありますが、ここでは音が前方に向かって直接飛び出してくるような構造になっています。見た目にも迫力がありますし、きっと音もお腹に響くような力強さがあるのだろうと想像しました*

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礼拝堂を見た後は、右側の階段を上がり、ギャラリーへ向かいました。この場所はラテン回廊(Via Latina)と呼ばれています。かつてこの場所ではラテン語が用いられていたことに由来するそうです。

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「帽子の間」の正式名称は「Sala Grande dos Actos(大儀式の間)」で、コインブラ大学の中でも最も格式の高い部屋です。学位授与式や博士号の口頭試問、学長就任式、開講式など、大学にとって重要な公式行事が現在もこの部屋で行われています。

「帽子の間」という名前は、博士たちが式典の際に身につける伝統的な肩マントと帽子、カペロ(Capelo)に由来しています。

この部屋は、大学として使われる以前は王宮の一部で、かつては玉座の間として使われていた場所でもあります。壁には歴代ポルトガル国王の肖像画がずらりと並び、17世紀のアズレージョや天井の緻密な装飾が、部屋全体に重厚な雰囲気を与えていました。

大学の講堂というより、王国の歴史と大学の伝統がそのまま重なっているような空間です。ここで学位授与式が行われるとなると、学生さんにとっては一生忘れられない時間になるのではないでしょうか。


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高台にあるコインブラ大学を少し下っていくと、新カテドラルが見えてきましたので、短い時間でしたが見学することにしました。
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新カテドラル(Sé Nova de Coimbra)は、16世紀末にイエズス会によって建てられ始めた大聖堂です。もともとはイエズス会のカレッジ付属教会でしたが、1759年にイエズス会がポルトガルから追放された後、司教座が近くの旧カテドラルからこちらへ移されました。


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外観の下層部は厳格なマニエリスム様式で、上層部には後に完成したバロック様式の華やかさが加わっています。堅牢で要塞のような雰囲気を持つ旧カテドラルとは対照的に、白いファサードが美しく、大学周辺の街並みによく映えていました。

内部では、祭壇背後の金泥細工が目を引きます。いかにもポルトガルらしい装飾で、アズレージョも見ることができました。時間があれば、旧カテドラルと新カテドラルを比べながら見学すると、コインブラの宗教建築の違いがより分かりやすかったかもしれません。

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駆け足で回ったコインブラでしたが、やはり学生の街だけあって、活気がありながらも落ち着いた雰囲気がありました。古い大学都市というだけではなく、今も学生たちの生活とともに息づいている街なのだと感じます。

次に訪ねる機会があれば、もう少しのんびりと滞在してみたい場所となりました。

午前中でコインブラ大学周辺の見学を終え、昼のバスでコインブラからポルトガル第二の都市、ポルトへと向かいます。

2026年7月 3日 (金)

今週の生け花(令和8年7月第1週)

7月に入りました。沖縄地方は梅雨が明け、青空が広がると同時に気温も上昇し、いよいよ夏本番となりまそした。だだ、また台風が発生しているようで今後が気になるところです。今日は時間が取れませんでしたので写真だけのアップになります🙇

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<花材:ストレリチア、ハラン、マリーゴールド、トルコ桔梗>

2026年7月 1日 (水)

夏本番、熱中症にご注意ください

7月に入り、いよいよ本格的な夏が始まりました。今年の沖縄は台風の影響でなかなか梅雨明けにならずに、雨が多い梅雨となりました。これからは長い夏の始まりとなります。

私が子どもの頃の沖縄では、30度を超えると「今日は暑いな」と思ったものですが、今では日本各地で35度を超える猛暑日も珍しくありません。地球温暖化の影響もあり、熱中症は誰にとっても身近な病気になっています。

熱中症とは、暑さによって体温の調節がうまくできなくなり、体にさまざまな不調が起こる状態の総称です。炎天下での運動や屋外作業だけでなく、実は自宅の室内でも多く発生しています。特に高齢者では、暑さを感じにくくなったり、のどの渇きに気づきにくくなったりするため注意が必要です。

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熱中症の初期には、めまい、立ちくらみ、足がつる、気分が悪いといった症状が出ます。大量に汗をかくと、水分だけでなく塩分も失われます。その状態で水だけをたくさん飲むと、血液中の塩分濃度がさらに下がり、筋肉のけいれんを起こすことがあります。暑い時期の水分補給では、水だけでなく、必要に応じて塩分を含む飲み物や経口補水液を利用することも大切です。

症状が進むと、頭痛、吐き気、強いだるさ、体温上昇などがみられます。さらに重症になると、意識がもうろうとしたり、呼びかけに反応しなくなったりします。このような場合は、迷わず救急車を呼んでください。救急車を待つ間も、涼しい場所へ移動させ、衣服をゆるめ、首・わきの下・足の付け根などを冷やすことが重要です。熱中症では「早く冷やすこと」が命を守る行動になります。

日本の夏が厳しいのは、気温だけでなく湿度が高いことにも理由があります。人間は汗をかき、その汗が蒸発する時の気化熱で体温を下げています。しかし湿度が高いと汗が蒸発しにくく、体の熱が外へ逃げにくくなります。汗をかいているのに体温が下がらないため、熱中症になりやすくなるのです。

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熱中症で亡くなる方の多くは、自宅で発見されています。特にクーラーを使わず、閉め切った部屋で過ごしている場合は危険です。「クーラーが苦手」という方も多いと思いますが、命を守るためには上手に使うことが必要です。設定温度を26〜28度程度にして、直接風が当たらないようにするだけでも体への負担は減ります。

水分をこまめにとる、無理をしない、暑い時間帯の外出を避ける、そしてエアコンを適切に使う。これらは特別なことではありませんが、熱中症予防にはとても大切です。今年の夏も、自分の体を過信せず、周りの方にも声をかけながら、元気に乗り切っていきましょう。

2026年6月28日 (日)

コインブラ大学(前半)

コインブラは、コインブラ大学とともに歩んできた街だと感じます。コインブラに住む方々の多くは、大学の学生や教員、あるいはその卒業生であり、街そのものに誇りを持っている方が多いと聞きます。実際に歩いてみると、長い歴史の中で育まれてきた由緒ある街であることを、あちらこちらで感じることができました。

行き交う人々の雰囲気もそうですし、街角で聞こえる会話、整った街並み、塵やほこりの少ない綺麗な道など、全体として落ち着いた空気に包まれていました。

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川沿いのホテルから見た西側の景色です。高台に広がる建物の多くが、大学、あるいは大学に関連する施設や教会となっています。
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コインブラはこぢんまりとした街なので、徒歩でも回ることはできます。ただし、ホテルのある川沿いから大学のある高台まで歩いて登ると、かなり大変だと思います。タクシーを利用してもよいのですが、効率よく観光するには市バスの利用もおすすめです。

大学のある場所から入口側の階段を見下ろすと、その大変さが想像できると思います。写真の左に写っている学生さんは、ずっと下の方から歩いて来ていました。毎日この坂道を歩けば、自然と足腰も鍛えられるのかもしれません。

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先ほどの階段を登り切った場所には、大きな像が立っていました。これはポルトガル王ディニス1世の像です。ディニス王は1290年にポルトガル最初の大学を創設した王で、コインブラ大学の歴史を語る上で欠かせない人物です。大学の入口付近にこの像があることからも、コインブラという街が大学とともに歩んできたことが伝わってきます。
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旧大学 Velha Universidade へ行くには、麓の橋の斜め向かいにあるバス停から、244番の Botanico 行きの中型バスに乗ることもできます。平日は20分おき、土曜・日曜・祝日は40分おきの運行のようです。このバスは大学構内まで乗り入れてくれるため、なかなか便利だと思います。上の写真のように、大学の中心部にバス停があります。

健脚の方であれば、迷路のような旧市街の坂道を高い方へと登っていけば、自然と大学にたどり着きます。バスで丘を上り、大学前で降りると、前方に旧大学への入口である「鉄の門」が見えてきます。


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大きな校舎は、それぞれの学部に分かれているようです。左側の建物は医学部のようでした。
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この建物は文学部か何かでしょうか?😅
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バスを降りた場所から前方へ進むと、旧大学への入口である「鉄の門」が見えてきます。コインブラ大学は新しい区域と古い区域に分かれていますが、観光の見どころはやはり旧大学のほうになります。

この門は「鉄の門 Porta Ferrea」と呼ばれており、ここをくぐると旧大学の中庭へ出ます。


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中に入ると、三方に立派な建物が並んでいます。「これが大学なのか」と少し驚いてしまうほどですが、それもそのはずで、もともとは王宮だった建物を大学として使うようになったのだそうです。
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三方を古い建物に囲まれた広場の中央には、ジョアン3世の像が立っています。コインブラ大学の歴史を考えると、大学を創設したディニス王、そして大学をコインブラへ定着させたジョアン3世の存在は、やはり大きいものだったのだと思います。

正面左角に見えるのは、学生たちが「カブラ(山羊)」と呼ぶ時計塔 Torre です。18世紀に建造されたもので、今では大学のシンボルとなっています。宿泊したホテルからも、この時計塔を見ることができました。


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この大学で特に有名なのが、金泥細工の装飾が見事なジョアニナ図書館 Biblioteca Joanina です。入館には事前予約が必要で、時間指定制となっています。当日券があるかどうかは分かりませんが、訪ねる予定がある方は、あらかじめ予約しておいた方が安心だと思います。

先ほどの大学の中庭から階段を少し下りた左手に見学入口があり、私たちもそこから中へ入りました。

 

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図書館に入る予定だったのですが、最初に現れたのは「THE PRISON」と書かれた場所でした。「なぜ図書館見学で、いきなり牢獄なのか」と思ってしまいますが、これもコインブラ大学の歴史と深く関係していました。
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ヨーロッパの他の名門大学と同様に、コインブラ大学にもかつて独自の法制度と自己統治の特権がありました。そのため、学内で罪を犯した者は一般の犯罪者とは別に、大学内で保護・懲戒処分を受けていたそうです。ここに収監されても、学ぶ機会を完全に失うわけではなく、この場所から大学へ通うこともできたとのことでした。

なんとも凄い制度です。いわゆる大学の自治権の始まりのようなものだったのでしょうか。

この学内監獄は、もともとは別の場所にありましたが、1774年に現在のジョアニナ図書館の地下へ移され、1832年まで実際に使われていたそうです。つまり、今私たちが見ている場所は、図書館の一番下の階にあたる部分だったのです。


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私たちがネットで予約した図書館の見学ルートは、まず1階にあたる最下層の学内監獄を見学し、次に2階の中間層へ進み、その後、3階にある豪華絢爛な図書館を見学するというコースになっていました。
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この部分が2階の図書室です。この階までは写真撮影が可能でした。残念ながら、3階にある一番美しい図書館部分は撮影禁止となっています。とても残念ではありますが、フラッシュ撮影の問題や、時間制限のある見学ツアーを円滑に進めるためには仕方がないのかもしれません。
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おそらく、一つひとつが非常に貴重な本や地図なのだと思います。

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現在、コインブラ大学では所蔵する本のデジタル化を進めているとのことでした。歴史ある貴重な本の中には、開くだけで破れてしまいそうなものもたくさんあるそうです。後世に残すためには、本そのものを守るだけでなく、その内容をデジタル化して保存していくことも、図書館の重要な使命なのだと思います。
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2階部分から、いよいよ一番美しい3階へと階段を上がっていきました。

ここから先は写真撮影ができませんので、Wikipedia から写真をお借りしました。もちろん出典の記載は必要です。私自身も、Wikipedia には個人的に長い間、少額ながら寄付を続けています。

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ジョアン5世の治世下、1724年に建てられたジョアニナ図書館 Biblioteca Joanina。

蔵書は30万冊に及ぶとされ、華麗なターリャ・ドウラーダ(金泥細工)による内部装飾や調度品は本当に見事でした。

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2017年に公開されたディズニー映画『美女と野獣』に登場する図書館の場面が、このジョアニナ図書館にそっくりだと話題になったそうです。コインブラ大学の公式ホームページでも、映画のシーンと実際の図書館の写真を比較する記事が掲載されていました。

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天井は高く、何層にもわたって本が積み上げられており、それらを取り出すための梯子も備えられていました。現在でも、どの場所にどの本があるのかはきちんと記録されているそうで、貸し出しも可能とのことでした。一般の方が借りられるのかどうかは分かりませんが、貸し出し中の棚には印が付いていました。
もう一つ面白いのは、ジョアニナ図書館には、昔からコウモリが住みついていて、夜になると本を傷める虫を食べてくれるため、結果として蔵書の保存に役立っているという有名な話があります。観光客にも印象に残りやすく、「豪華絢爛な図書館なのに、夜はコウモリが守っている」という対比がとても面白いです。公式ページにも、約2世紀半にわたってコウモリの群れが図書館に住み、害虫対策に役立っていると説明されています。


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ジョアニナ図書館は、単に美しい図書館というだけでなく、ポルトガル・バロックを代表する建築でもあるそうです。内部の金泥細工や色彩豊かな書棚、天井画、調度品の一つひとつが、当時のポルトガルの国力と学問への敬意を示しているように感じました。
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先ほどは牢獄のある地下、つまり1階部分から入りましたが、見学を終えて外に出てきたところで、図書館の全体像を写すことができました。この建物全体が、牢獄を含めた図書館となっているのです。
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もしかすると、いつの日か3階部分の撮影も可能になる時代が来るかもしれません。時代は少しずつ「公開」の方向へ進んでいるようにも感じます。せっかく遠くから訪ねて来たのですから、記憶だけでなく、写真としても残しておきたいと思ってしまいます。

次回も、コインブラ大学を中心に記載する予定です。

2026年6月26日 (金)

今週の生け花(令和8年6月第4週)

今日は台風7号の影響で、午前中は病院の外来、健診・人間ドック、リハビリなどを休診としました。午後からは通常診療に戻すことができました。

昨年は那覇市への台風の影響はそれほど大きくありませんでしたが、今年は6月に入ってからすでに2回目の台風による休診となりました。幸い、どちらも大きな被害はなく経過しています。ただ、休診を決めると、その時間帯に予約されていた患者さんや人間ドックの受診者の皆さんの日程調整が必要となり、現場はその対応に追われることになります。

その一方で、午前中の休診のおかげで、すでに出勤していた職員と一緒にW杯の日本-スウェーデン戦を観戦することができました。どちらのチームも無理をしない、慎重な戦い方だったように感じました。スウェーデンも無理に仕掛けて逆に敗れると、ほぼ一次リーグ敗退が決まってしまう状況だったのかも知れません。そのため、より可能性の高い戦術を選んだのではないかと思いながら観ていました。

 

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外はまだ風が強く吹いていましたが、午前中が休診だったことなど知らないかのように、いつもの場所ではお花たちが静かに待ってくれていました。マリンブルーの色合いのせいでしょうか。全体にとてもすっきりとした、気持ちのよい空気が流れているように感じます。
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今週の花器も、とても面白い形をしています。筒状の中央部が開いていて、そこからも花たちが顔をのぞかせています。横に広がるだけでなく、縦への立体感も生まれるため、作品全体の表現にさらに幅が出ているように思います。
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いつもながら、ここに生けられた花たちはそれぞれに個性を持っています。生きた花々ですので、この美しさも永遠に続くものではありません。だからこそ、この瞬間にだけ放たれる輝きがあるのだと思います。

私たちの命もまた永遠ではありません。だからこそ、1日1日を大切に、悔いのないように生きなければならないのだと、花たちが静かに教えてくれている気がします。本当に感謝したいです❤️‍🩹

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<花材:ガマ、ひまわり、マリンブルー、姫ひまわり>

2026年6月24日 (水)

胸焼けの原因となる「胃食道逆流症」について

沖縄県はそろそろ梅雨明けになるのでしょうか。雨も大切ですが、長く続くとそろそろ青空が恋しくなってきますね。台風7号が気になるところです。

今日は「胸焼け」の原因としてよく知られる「胃食道逆流症」についてお話ししたいと思います。

以前は、胸焼けがあると「逆流性食道炎」と呼ばれることが一般的でした。これは胃カメラで食道にただれや炎症が見られる場合につけられる病名です。しかし実際には、胃カメラで食道がきれいに見えても、胸焼けやげっぷ、口の中が酸っぱい感じなどを訴える方がいます。このように、食道のただれの有無に関わらず、胃酸などが食道へ逆流することで症状が出る病気を、現在では「胃食道逆流症」と呼んでいます。

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胃には、食べ物を消化するために強い酸性の胃酸があります。胃は粘膜で守られていますが、食道には胃酸から身を守る十分な仕組みがありません。そのため胃酸が食道へ逆流すると、食道の粘膜が刺激され、「胸が焼けるような感じ」や「みぞおちから胸にかけての不快感」が起こります。

本来、食道と胃のつなぎ目には、逆流を防ぐための筋肉の仕組みがあります。食べ物が胃に入る時やげっぷの時だけ緩み、それ以外は閉じて胃の内容物が戻らないようにしています。しかし、加齢、肥満、食べ過ぎ、腹圧の上昇、食道裂孔ヘルニアなどによってこの働きが弱くなると、胃酸が食道へ逆流しやすくなります。

症状は胸焼けだけではありません。げっぷが多い、口の中が酸っぱい、食べ物が胸につかえる感じがする、といった症状のほか、慢性的な咳、のどの違和感、声がれ、胸の痛みなどとして現れることもあります。心臓や呼吸器、耳鼻科の病気と似た症状を出すこともあるため、長く続く場合は自己判断せず医療機関で相談することが大切です。

診断には、症状の確認に加えて胃カメラが重要です。食道の炎症を直接確認できるだけでなく、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、食道がん、胃がんなど、似た症状を起こす別の病気がないかを調べることができるからです。

治療では、胃酸を抑える薬や胃腸の動きを助ける薬などを使いますが、日常生活の工夫もとても大切です。食べ過ぎや早食いを避ける、食後すぐ横にならない、ベルトなどでお腹を締めつけない、肥満を防ぐ、脂っこい食事やアルコール、コーヒーをとりすぎないことが症状の軽減につながります。


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特に夜間に胸焼けが強い方は、寝る前の食事を避け、夕食は少なめにしましょう。就寝時には上半身を少し高くし、横向きに寝る場合は左側を下にすると、胃酸の逆流を減らしやすいと考えられています。食後すぐに横になること自体は避けるべきですが、夜間の逆流症状を防ぐという意味では左側を下にする寝方がおすすめです。

胸焼けはありふれた症状ですが、生活の質を大きく下げることがあります。症状が続く場合は我慢せず、早めに相談して下さい。

2026年6月21日 (日)

コインブラのファド(リスボンとの違い)

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ポルトガルのファドにはリスボンとコインブラではだいぶ違うのだと言うことを調べていました。 実は30年前にリスボンで初めて聞いたファドは地下の酒場のような場所で、女性の方が黒っぽい服に哀愁を帯びた曲を歌ってくれていました。今ならこれを聴いても好きになったのかも知れませんが、当時のまだ若い私には「怨念を歌った演歌のような雰囲気」で好きになれませんでした。 それ以降ファドには興味もなくて聴く機会も失っていました。
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今回初めて訪ねるコインブラでリスボンとは違うファドを聴きたくて下調べをしていました。

AIでその違いを簡単にまとめたので記載いたします。正しく今回コインブラでファドを聴いて、その違いが正しいと理解しました。私は断然、コインブラのファドの方が好きになりました(リスボンのファドファンには申し訳ない🙇)


ポルトガルの魂とも呼ばれる伝統歌謡「ファド(Fado)」には、大きく分けて「リスボン」「コインブラ」の2つの異なるスタイルが存在します。

それぞれの成り立ちや音楽性、そして鑑賞する空間の雰囲気の違いをまとめました。

比較まとめ

項目 リスボン・ファド コインブラ・ファド
歌い手 男女両方(特に女性歌手が有名) 男性の学生・OBのみ
主なテーマ 郷愁(サウダーデ)、庶民の哀歓、失恋 学生生活、恋のセレナーデ、社会へのメッセージ
歌われる場所 下町のレストランや酒場「カーザ・デ・ファド」 歴史的な大学街の石畳や階段(屋外)
衣装 黒いショール(女性) 黒いマント(伝統的な学生服)
鑑賞マナー 歌の終わりに拍手をして讃える 拍手はせず、静かに「咳払い」をするのが伝統

## 1. リスボン・ファド:大衆の哀愁と生活の歌

アルファマ地区やモウラリア地区など、港町リスボンの下町で発展したファドです。


  • 音楽と感情: 日々の暮らしの悲哀、叶わぬ恋、そして海に出たきり戻らない人々への「サウダーデ(郷愁、切なさ)」を、感情をむき出しにして情熱的に歌い上げます。

  • 空間と情景: 路地裏にある薄暗いレストランや酒場(カーザ・デ・ファド)の屋内が舞台です。食事やワインを楽しみながら、至近距離で歌い手と感情を共有する親密な空間が広がります。

## 2. コインブラ・ファド:夜気と歴史に溶け込むセレナーデ

ヨーロッパ最古の大学のひとつであるコインブラ大学の男子学生たちによって、独自の発展を遂げたファドです。


  • 音楽と感情: 起源は、黒いマントを羽織った学生が意中の女性の窓辺で歌った「夜のセレナーデ」です。よりクラシカルで、声楽のようなベルカント唱法に近い発声を用いることが多く、男声の深く響く歌声が特徴です。

  • 空間と情景: 夜の広場や歴史的建造物の階段など、屋外で歌われるのが本来の姿です。精緻な装飾が施された建築物がライトアップされる中、石畳に男声コーラスとギターの音が響き渡る情景は、非常に美しく荘厳です。

## 3. アコースティック楽器としての響きの違い

どちらも歌い手を支えるのは、独特の丸みを帯びた複弦の「ポルトガルギター」と、伴奏を担う「クラシックギター(ファドではヴィオラと呼びます)」のアコースティックなアンサンブルですが、ここにも明確な違いがあります。


  • リスボン・スタイル: 涙のしずく型をしたギターを使用します。哀愁を帯びた、きらびやかで高音域のメロディーラインが特徴で、歌い手の感情の起伏に寄り添うように爪弾かれます。

  • コインブラ・スタイル: リスボンのものより一回り大きく、チューニングも1音低く設定されています。そのため、コード進行やアルペジオの響きがより重厚で深く、クラシック音楽の系譜を感じさせるアカデミックな音色を持ちます。

リスボンの情熱的で人間味あふれる夜と、コインブラの静寂の中で歴史的建造物に響く澄んだ夜、それぞれに全く異なる魅力を持っています。

・・・以上がAIによる回答でしたが、実際に聴いてもこの違いには納得でした。

 

と言うわけで。今回コインブラの街のもう一つの中心地の「5月8日広場」に建つサンタ・クルス修道院に隣接する でファドの生演奏を聴く機会に恵まれました。

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カフェ・サンタ・クルス(Cafe Santa Cruz)はコインブラ市内にある、サンタ・クルス修道院に隣接されているカフェ・レストランとなっています。
1530年に建て替えられた教会を利用しており、重厚な雰囲気で、単純に飲み物や食事で入っても贅沢な場所となります。
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正しくサンタクルズ教会の一部を利用したカフェとなっています。広場に面した外のテラスでも注文することが可能です。
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このお店を選んだ最大の理由は飲み物だけの注文で、18時と22時に開かれるファドの生演奏を楽しむことができることです。
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21時30分ぐらいに店内に入ったら、中央部で食事をとっているグループがありましたが、前方の舞台の列はまだ誰も座っていませんでしたので、一番前の正面の席に陣取ることにしました。
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ポルトガルギターが高音域で切なくも美しいメロディーを奏で、クラシックギターがアルペジオや重厚なコード進行でしっかりと底辺を支える。そのアコースティックの計算された美しい土台があるからこそ、透明感のある男性の真っ直ぐな歌声がいっそう澄み渡り、スッと心に入ってくるのだと思います。

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一番前の席で聴いていたので、演奏終了後直接ファド歌手のAntonio Dinisさんと話す機会があり、彼らのCDを2枚購入、サインも頂きました。気楽にサインにも応じて2枚別々にサインしてくらました。(彼らの演奏を動画で撮影しました。時間がないのでいつか編集できればと考えています。念の為、動画をアップしても良いと口頭で許可は貰っています)


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今回の演奏を聴いて私も30年来のファドの呪縛から解放されませいた(笑)。やはり私の方はリスボンのファドよりコリンブラのファドの方が好きです❤️‍🩹

2026年6月19日 (金)

今週の生け花(令和8年6月第3週)

沖縄地方は、6月の台風6号以来、梅雨の影響も重なり、雨、それも豪雨に見舞われる日が続いています。

今年に入ってから沖縄県内のダムの貯水率が例年より低い状態が続いていたため心配していましたが、ここに来て、ほぼ例年の梅雨時期並みの100%近くまで回復しているようです。

水はもちろん大切ですが、もうしばらくは雨にはご遠慮いただきたい気分です😆

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曲がった金属にも見える花器のせいでしょうか。

今回の生け花は、一瞬、造花のようにも見えてしまいます。


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それぞれの花材が、自分の向きたい方向へ思いきり手を伸ばしているようです。

「私は私よ」と言っているような雰囲気なのですが、それでいて全体としては不思議とまとまっています。
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今回も、個性豊かな花材がそろいました。

当院も今、さまざまな変革の時期を迎えています。

それでも、前を向いて歩いていけそうな気がしています。

この生け花のように、一人ひとりの個性を生かしながら、同じ目標に向かってまとまっていけたらいいなと思います❤️‍🩹

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<花材:匂いヒバ、クルクマ、カーネーション、アスター>

2026年6月17日 (水)

マカオ観光;大堂(カテドラル)+鄭家屋敷

第3週水曜日は会議のためFM放送がありませんので医療ネタもありません。2025~26年年末・年始に出かけたマカオ+香港の旅から旅行記をアップしました)
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大堂前地、いわゆるカテドラル広場は、主教座堂(大堂)の斜め前にある小さな広場です。ポルトガル様式の石畳が敷かれ、普段は市民や旅行者が腰を下ろして休憩するような、落ち着いた雰囲気の場所となっています。

タイルの色合いや周囲の建物の雰囲気からも、マカオの中に残るポルトガルの面影を感じることができます。セナド広場に比べるとこぢんまりとしていますが、その分人も少なく、ゆっくり散策するにはちょうどよい広場でした。

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主教座堂のファサード、つまり建物の正面外観は、飾り柱と二つの鐘楼が特徴的です。背後には近代的な建物も見えており、歴史ある教会と現代の街並みが並ぶ光景に、マカオという街の時間の重なりを感じてしまいます。

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大堂、すなわちカテドラルは、アジアの主教区の中心的な教会として16世紀に建設されたのが始まりとされています。最初の建物は土と藁で作られた煉瓦造りだったそうですが、現在の建物は1937年に再建されたものです。

中国語では「主教座堂」、ポルトガル語では「Sé Catedral」と呼ばれています。Cathedralとは、司教座を持つ教会に用いられる呼称で、司教区を代表する大聖堂を意味します。「主教座堂」という名前からも分かるように、司教を置くことが許された、格式の高い教会です。


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中に入ると、外観の重厚さとは少し違い、パステルカラーの淡い色調と柔らかな光に包まれた、穏やかな空間が広がっていました。ポルトガル本国で見た教会群よりも明るく、肩の力を抜いて過ごせるような、落ち着いた雰囲気の教会でした。
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聖母マリアを祀る教会ということもあり、内部にはマリア像もいくつか見ることができます。

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ステンドグラスも美しく、派手さはありませんが、静かに見入ってしまう魅力があります。ここは一見の価値がある教会だと思いました。
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カテドラルを出た後は、近くの鄭家屋敷へと向かいました。

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鄭家屋敷は、1869年以前に建てられたとされる伝統的な中国式住居で、中国近代化の先駆者であり啓蒙思想家でもあった鄭観應の旧宅です。複数の建物と中庭で構成されており、灰色レンガを用いた中国式の造りを基本としながら、アーチ型の装飾やインド風の真珠貝の窓枠、中国式の格子窓などが組み合わされています。

まさに中国と西洋、さらに南アジアの影響までもが混ざり合った、マカオらしい建築と言えるかもしれません。現在はマカオの世界文化遺産の一つとして公開されており、博物館やギャラリーとしても利用されています。

外観は意外なほど素朴で、注意していないと通り過ぎてしまいそうです。実際、私も一度通り過ぎてしまいました😅 リラウ広場の近くにありますので、訪れる際には入口をよく確認した方がよさそうです。

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鄭観應(てい・かんおう)は、19世紀末の清朝末期に活躍した人物で、中国近代化を考えた改良主義者、啓蒙思想家として知られています。特徴的なのは、単なる机上の理論家ではなく、外国企業や清朝の近代的な国策企業で実際に働き、経営にも関わった実業家であった点です。

その実務経験から生まれた思想は、非常に具体的で説得力があり、後の孫文や毛沢東にも影響を与えたと言われています。彼は「商戦」、すなわち経済をめぐる国家間の競争を早くから意識し、さらに議会政治や君主立憲制の導入なども提唱しました。

主著『盛世危言』には、政治、経済、軍事、外交、教育、さらには女性の権利向上に至るまで、中国を近代国家へと生まれ変わらせるための具体的な改革案が記されていたそうです。そう考えると、この屋敷は単なる豪邸ではなく、中国近代化の思想が育まれた場所の一つでもあったのだと思います。


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大富豪の旧家だけあって、入口は控えめでも中に入ると想像以上に広く、奥行きのある建物でした。当時の建築がよく残されており、内部を見学できるようになっています。しかも無料で見学できますので、近くまで来られた方は立ち寄ってみる価値があると思います。
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建物は奥行きも幅も想像以上に大きく、2階建てとなっています。多い時には200名ほどが暮らすことができたとも言われており、その規模の大きさに驚かされます。
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中央部には天井から光を取り込む吹き抜けがあり、1階にも2階にも自然光が届くように工夫されています。そのため、古い建物でありながら内部は思ったよりも明るく、開放感がありました。
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一方で、細部を見ていくと、やはり中国の伝統的な民家らしさも随所に感じられます。マカオという街は、ポルトガルの影響ばかりに目が向きがちですが、このような中国系住居を歩くと、もう一つのマカオの歴史が見えてくるように思いました。


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マカオ・香港の旅については、これからもブログの合間の時間を使いながら、少しずつアップしていきたいと思います。今後ともよろしくお願い致します。

2026年6月14日 (日)

コインブラ(大学以外の西地区)探索

コインブラ(大学以外の西地区)探索

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モンデゴ川から山手側の旧市街へ入る場所に、ポルタジェン広場があります。正面に見える細長い建物が、前回紹介した私たちの宿泊ホテルです。町を流れるモンデゴ川は、エストレラ山脈を源とする美しい川で、コインブラの町並みに落ち着いた雰囲気を与えていました。



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この広場の一角にある小さな建物は、「CDショップ兼くじ売り場」となっています。以前、テレビ番組『世界ふれあい街歩き』の冒頭で、この店の常連客のおばあちゃんが「くじに当たって皆んなで旅行に行った」と話していた場所でした。
「あっ、本当にここにあった」と、少し嬉しくなりました(笑)。
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モンデゴ川沿いの平地は町のメイン通りとなっていて、菓子店や土産物店などが立ち並んでいます。観光地でありながら騒がしさはなく、どこか落ち着いた雰囲気でした。

コインブラは大学の町として知られ、住民の多くがコインブラ大学やその卒業生、あるいは大学関係者と何らかの関わりを持っているそうです。さすが学問の町だけあって、治安もよく、明るく穏やかな印象を受けました。

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通りを歩いていると、このような彫刻が目に入りました。コインブラはリスボンとは一味違う、ファドの町でもあります。コインブラのファドについては、次回あらためて記載する予定です。
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さらに通りを歩いていると、山手側へ続く道がありました。せっかくなので、門をくぐって中へ入ってみることにしました。
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の角にも、ファドで使われる弦楽器を模した銅像がありました。よく見ると、楽器と一体になった美しい女性の像です。なんともセクシーで、素敵な女性像でした。
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裏に回ると、これまた可愛らしい後ろ姿が見えました。ちょっと嬉しい発見です🤭
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ここから右手に回ると、また別の門がありました。昔は城壁の役目も果たしていたのでしょうか。
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この周辺にもカフェが立ち並んでいました。急な坂道を登っていくと、コインブラ大学へ進めるようです。

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先ほどのモンデゴ川は、かつて「ポルトガルの洗濯女」の歌で有名になったとのことです。その「ポルトガルの洗濯女」を記念した銅像が、カフェの前にありました。


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少し小腹が空いたので、夕食までの間に何か軽く食べようと思い、小さなお店に入りました。そこで注文したのが、このハンバーガーです。

コーラとハンバーガーを頼んだだけなのですが、学生の町だからでしょうか。写真で見る以上に実際はかなりのボリュームで、残さず食べるのにひと苦労でした。

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真っ直ぐ坂を登ればコインブラ大学へ向かうようでしたが、今回は大学には向かわず、山手を右側へ進み、再びモンデゴ川沿いへ下りていきました。
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橋を挟んで、ホテルとは反対側から見た眺めです。
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川の向こうの丘の上には、前回紹介した新サンタ・クララ修道院が見えています。
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このような町の造りを見ると、大学のある地区がかなり急な坂の上に建っていることがよく分かります。
……ということは、歩くと大変だということでもあります。とにかくポルトガルには、健脚でないと大変な町が多いです。
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時計のある建物が、モンデゴ川沿いの町の外れにあるコインブラ駅です。9月初旬でしたので、19時半を過ぎてもまだまだ明るさが残っていました。
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このような帽子が飾られた通りもあり、街歩きがますます楽しくなります。
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この日の夕食は、ジャルディン・ダ・マンガ(Jardim da Manga)という名の、黄色い建物の裏手にあるレストランを予約していました。

最初に「マンガ」と聞いた時は、日本の「漫画喫茶」のようなものを思い浮かべてしまいましたが、もちろん全然違いました。

名前の由来は、1533年、ポルトガル国王ジョアン3世がこの地を訪れた際、広大な空き地に造る庭園の構想を、自分の服の袖、つまり「Manga」にスケッチしたという伝説から来ているそうです。
「漫画」ではなく、「袖」という意味だったのです🤭


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中央には円形のドーム状の礼拝堂、あるいは東屋のような建物があり、そこから4つの架け橋が周囲の円筒形の小礼拝堂へと伸びています。全体が美しい水盤に囲まれており、どことなくアラブ文化の影響も感じられる造りでした。

私たちが予約した「Jardim da Manga」は、この建物と同じ名前のレストランで、ちょうど真後ろにあります。


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観光地の中心にありながら、地元の人や学生、観光客向けにリーズナブルなランチメニューや日替わりメニューを提供しており、コストパフォーマンスの高さでも評価されているようです。
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日替わりメニューの中から2品を選びましたが、どちらも素朴な味わいで、値段もお手頃でした。

ここでしばらくのんびり過ごしたあと、すぐ近くで行われるファドの生演奏を聴くために店を後にしました。演奏開始は夜10時です。
次回は、コインブラのファドについて記載したいと思います。


2026年6月12日 (金)

サグラダ・ファミリア、祈りの塔が完成した日

(金曜日ですが、生け花クラブが休みだったようで生け花を記載できませんので、代わりにサグラダファミリアの記事を記載します)

1昨日、バルセロナから歴史的なニュースが届きました。サグラダ・ファミリアで最も高い中央塔「イエス・キリストの塔」の祝福と落成を記念する式典が行われたのです。

このニュースを耳にしたとき、私の胸には、これまで40年にわたる旅の記憶が鮮やかに蘇ってきました。

私にとってサグラダ・ファミリアは、単なる観光地ではありません。40年前、30年前、そして10年前。何度かの訪問を通して、この教会の変遷をまるで定点観測のように見守り続けてきた、人生の伴走者のような建築物です。

初めてその姿を見た40年前は、「完成まであと100年」と言われていました。自分が生きているうちに完成に近づく姿を見届けることはないだろうと、どこか遠い未来の物語のように思っていたことを覚えています。それが訪問を重ねるたびに「あと50年」と縮まり、ついに昨日、大きな節目を迎えました。

思えば、30年前までの訪問では、教会の内部にはまだ現在のようなステンドグラスの輝きはありませんでした。コンクリートと石がむき出しになった、静かで、どこか冷厳な未完成の空間。それが、10年前の訪問の際には、劇的な変化を遂げて私を迎えてくれたのです。


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堂内に一歩足を踏み入れた瞬間、言葉を失いました。それまで光のなかった空間に、ステンドグラスを透過した暖かく鮮やかな灯りが満ち溢れていたのです。

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見上げれば、まるで大木のようにそびえ立つ列柱が天を支え、差し込む光によって神秘的な陰影を描き出していました。それは、人間の力をはるかに超えた圧倒的な美しさであり、理屈抜きに魂を揺さぶられる空間でした。

そのとき私が感じたのは、特定の宗教の枠を超えた、普遍的な「祈り」そのものでした。先の見えない霧の中を歩む人の足元を、静かに、しかし確かに照らし出してくれるような、大きな包容力に満ちた光。それはまさに、神様にしか作れない祈りの形のように思えたのです。

世の中にある多くの歴史遺産は、過去の偉業を伝える「過去の出来事」です。しかし、サグラダ・ファミリアは違います。幾多の困難を乗り越え、今まさに完成へと向かっている「現在進行形」の遺産なのです。


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人間が生きられる時間は有限です。天才ガウディも、礎を築いた職人たちも、すでにこの世にはいません。それでも、一人の人間が抱いた永遠とも言える祈りは、世代を超えて現代の技術者や名もなき人々に受け継がれ、今この瞬間も形作られ続けています。

ここで、もう一度問い直してみたいのです。

この教会の名前である「サグラダ・ファミリア(聖家族)」という言葉の本当の意味を。

宗教的な意味としてのイエス・キリストの家族を指すだけでなく、この言葉にはもっと普遍的なメッセージが込められているのではないか、と今の私は思うのです。

一人の人間が遺した祈りのバトンを、何世代にもわたる見ず知らずの他人が受け取り、我がことのように大切に育て、次の世代へと繋いでいく。140年以上もの間、名もなき人々の善意と祈りの石が積み上げられてきたそのプロセスそのものが、人類という名の大きな「家族」の姿ではないでしょうか。

有限の命しか持たない私たちが、時を超えて誰かを想い、未来へ希望を託すこと。その営みそのものが、最も尊い「聖なる家族の祈り」なのだと、サグラダ・ファミリアは現在進行形の姿で教えてくれている気がしてなりません。

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10年前に私を魅了したあの光は、今も私の中で、未来へ向けて大切なメッセージを紡ぎ続ける静かな原動力となっています。全てが完成すると言われるその日を、この目で直接見届けることができるかもしれない。そんな大いなる希望を胸に、今日も一歩ずつ、自分の人生という旅を進めていきたいと思います。

 

2026年6月10日 (水)

「貧血」とはどんな状態?

〜めまいや立ちくらみだけではない、身体からのサイン〜

沖縄地方も梅雨が明け、いよいよ夏本番を迎えました。今年は梅雨入りが遅く、しかも梅雨明けは例年よりかなり早かった印象があります。最近は「これまでの沖縄らしさ」が少しずつ変わってきたように感じることも増えてきました。夏場の水不足も少し気になるところです。

さて、今回は「貧血」についてお話ししたいと思います。

外来で患者さんと話していると、「先生、今朝ちょっと貧血になってね〜」という言葉をよく耳にします。実際には、一時的な低血圧や立ちくらみ、軽い気分不良を指していることも多いのですが、「貧血」という言葉は日常の中でかなり広い意味で使われているようです。

では、本当の意味での「貧血」とは何なのでしょうか。

私たちの血液は、「赤血球」「白血球」「血小板」といった形のある成分と、「血漿(けっしょう)」という液体成分からできています。その中で、貧血と深く関係しているのが赤血球です。

赤血球は、肺で取り込んだ酸素を全身へ運ぶ役割をしています。赤血球の中には「ヘモグロビン」という赤い色素が含まれており、このヘモグロビンが酸素と結びつくことで、私たちは全身の細胞へ酸素を届けることができます。

人間の身体にはおよそ20兆個もの赤血球が存在すると言われています。私たちの細胞は酸素がなければ生きていけません。そのため赤血球は、体中の細胞に酸素を届けるために、非常に小さく、効率的な細胞へと進化してきたのです。

貧血とは、この赤血球やヘモグロビンが減少し、身体が酸素不足になった状態をいいます。

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特に女性では、生理による出血の影響もあり、鉄欠乏性貧血が非常に多くみられます。さらに、ダイエットや偏った食事、朝食抜きなどが重なることで、鉄不足になりやすい傾向があります。

「最近、顔色が白くなったね」と言われても、単純に美白ではなく、貧血が隠れている場合もあります。

貧血の症状としては、

・疲れやすい
・だるい
・めまい、立ちくらみ
・動悸、息切れ
・頭痛、肩こり
・顔色が悪い
・冷えやすい
・爪が割れやすい
・髪が抜けやすい
・口の端が切れる
・舌がツルツルする

など、実にさまざまです。

また、「煎餅のような硬いものを無性に食べたくなる」という症状が出る方もいます。

ただし、こうした症状は他の病気でも起こります。そのため、「私は貧血体質だから」と自己判断してしまうのは危険です。

特に注意が必要なのは、「鉄不足だけ」が原因ではない場合です。

例えば、子宮筋腫などによる慢性的な出血、胃潰瘍、胃がん、大腸がんなどが隠れていることもあります。実際に、貧血の検査をきっかけに重大な病気が見つかるケースは少なくありません。

また、赤血球を作る骨髄の病気や、赤血球が壊れやすくなる病気など、専門的な治療が必要な貧血もあります。

ですから、「たかが貧血」と軽く考えず、一度は原因をしっかり調べることが大切なのです。

ここで、よく混同される「低血圧」との違いについても触れておきます。

「朝弱いから貧血」「立ちくらみしたから貧血」と考える方は多いのですが、実は貧血と低血圧は別のものです。

貧血は、赤血球やヘモグロビンが減り、酸素を運ぶ能力が低下した状態です。

一方、低血圧は、血液を送り出す圧力が低い状態です。

どちらも「めまい」や「ふらつき」が起こるため混同されやすいのですが、原因も治療法も異なります。

最後に、鉄欠乏性貧血の予防についてです。

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鉄は、レバー、赤身の肉、魚、あさり、大豆製品、緑黄色野菜などに多く含まれています。また、ビタミンCやタンパク質を一緒に摂ることで、鉄の吸収が良くなります。

忙しい毎日の中では、つい食事が偏ってしまうこともあります。しかし、私たちの身体は、毎日の食事によって支えられています。

「最近疲れやすいな」「なんとなく調子が悪いな」と感じた時、その背景に貧血が隠れていることもあります。

貧血は、身体からの小さなサインなのかもしれません。

気になる症状がある時は、一度血液検査を受けてみることをお勧めします。早めに原因を知ることが、自分自身の身体を守る第一歩になると思います。

2026年6月 7日 (日)

コインブラ(モンデゴ川対岸:東地区)探索

コインブラには1泊しか滞在しないため、ホテルで荷を下ろすとすぐに行動開始です。2013年には、14世紀以降大学として使われている山の手のアルタ地区と、16~20世紀に大学関連施設が置かれた下町のソフィア地区が世界遺産に登録されました。

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モンデゴ川にかかるサンタ・クララ橋を渡り、まずはアルタ地区の散策に出かけました。(*大学が中心とする小高い丘の中心とする「アルタ(Alta=高い)」、今でも様々な商店が並ぶ、川に近い下町エリアを「バイシャ(Baixa=低い)」として2つに分けています*)


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橋の入り口にはこのような案内板があり、コインブラを周遊する列車の形をした観光車両の起点になるようです。坂道が多いので結構便利かも知れません。このような形をした観光用のミニトレイン は、以前ルクセンブルク観光で利用したことがありました(⇨ルクセンブルク観光No2)

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旧市街からモンデゴ川に架かるサンタ・クララ橋を渡って対岸に行くと、道の左側に古い教会が見えてきました。旧サンタ・クララ修道院(Mosteiro de Santa Clara-a-Velha)となります。

 

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このサンタ・クララ修道院は1286年に建立され、1330年には付属したゴシック様式の教会と回廊が完成したそうです。コインブラの守護聖人となったイザベル王妃のがかって納められていたほか、イネス・デ・カストロの遺体がアルコバサ修道院(ポルトガル中部のレイリア県にある世界遺産の教会)に移されるまでここに安置されていたという歴史をもつ。
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場所が川の近くの低地にあるため、たび重なるモンデゴ川の洪水によって被害を受けてついには17世紀に閉鎖してしまいます。そのため施設は丘の上にある現在の新サンタ・クララ修道院 に移転されることになっています。
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その後すっかり荒れ果てて数百年の長い間に放置されていたが、20世紀後半に再建計画が考案され、2009年に修復が完了した。現在はゴシック様式の教会、修道院だった建物の遺構などが見学できる。

 

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植物園(Jardim Botânico)
コインブラ大学付属の研究施設である植物園。一般客に公開されており、地の学生や旅行者にとって悪いの場になっている。敷地内にはヤシの木から針葉まであり、季節の花々が咲いていて美しい。温室では熱帯地方の植物も栽培している。
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涙の館(Quinta das Lágrimas)
イネス・デ・カストロが住んでいたとされる館は現在は5つ星ホテル「キンタ・ダス・ラグリマス」になっています。裏の庭園にイネスとペドロ王子が愛を語らった恋人たちの泉 Fontedos Amoras があり、現在観光名所として管理されています。ホテルの入り口にチケット売り場があり、そこから一般の方も入ることができます。
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このアーチ上の門もかつてのイネス・デ・カストロが住んでいたとされる館の一部と思われます。
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さらに奥に進むと涙の泉 Fonte das Lagrimas があります。広い敷地ですが、小さな案内板の矢印に沿って進みました。イネスがのどを切られて殺されたと伝えられる場所だ。底にある赤い石は、そのときのイネスの血で染まったのだという。現在は廃墟になっている恋人たちの泉


**ペドロ王子とイネスの悲恋物語
父アフォンソ4世の言いつけによりカスティーリャ王国のコンスタンサ姫と結婚したペドロ王子は、その侍女のイネス・デ・カストロと恋に落ちてしまう。国王の怒りをかったふたりは引き離されるが、コンスタンサが亡くなるとペドロはイネスを側室とし、3人の子供も生まれた。しかしカスティーリャ王国の圧力を恐れた国王と家臣によって、イネスは殺されてしまう。やがて王位に就いたペドロ1世は、イネスを正式な妻として教会に認めさせ、イネスの殺害にかかわった者はすべて処刑したという**

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↑イネスが殺害されたという涙の泉


涙の泉にある石碑には、カモンイスの『ウズ・ルジアダス」の一節が刻まれている。モンデゴの妖精たちは涙を流し続け彼女の悲しい死を記憶に刻みこんだ。そして永遠の記憶を求めて流された涙は美しい泉となった。あの処刑の場所にできた泉に妖精たちはイネスの愛という名を付けた。泉はいまでも湧き続けていていて、その下の池へと流れ込んでいます。湧水だけあって澄んだ綺麗な水で、決して血は流れいません(笑)。


現在ペドロ1世の遺骸は、彼の遺言によりイネスの棺と一緒に、アルコバサにあるアルコバサ修道院に安置されている。

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敷地内には不思議な根をもつ大木もあり、時間があればのんびりと散策ができそうです。
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この施設を出て、さらになだらかな坂を上へと歩いてゆきます。

新サンタ・クララ修道院(Mosteiro de Santa Clara-a-Nova)
モンデゴ川の洪水を避けるため、川沿いにある旧修道院の代わりに、17~18世紀にかけて新しく建てられた。コインブラの守護聖人であるイザベル王妃の棺が納められている。ディニス王の妻であったイザベルは慈悲深い王妃として市民に愛された。修道院前にはコインブラの町を見下ろすようにしてイザベル王妃の像が立っている。

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しばらく曲がりくねった急坂を登ることになります。
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最初は新サンタ・クララ修道院の入り口(上の写真の正面が入り口です)がわからずに、さらに登ってしまい、また戻ってきました。
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上の写真の矢印とところが門かと思い覗いたら、巡礼者の宿のようで、男女の2人が出てきたので聞いた見たところ、入り口を教えてもらったのです。
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教会の入り口でチケットを購入。その方に何処からと聞かれたので「日本から」と答えたらにっこりとして貰いました。実はコインブラ大学にも日本人の方が勤めていて、その方は教会関係にも精通されているようでした。おかけでコインブラでは日本人も歓迎されるようです。
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いきなり入ってびっくりの礼拝堂です😲 予想しているより凄かったです。黄金に輝く正面祭壇には圧倒されます。

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両サイドの彫刻や壁画、天井なども豪華絢爛です。それほど大きくない都市の教会で、中心地でもないので想像を遥かに超えていました。
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地下聖堂では、聖イザベラ女王 の注目すべき14世紀ゴシック様式の石棺が石灰岩で彫られており、繊細な彫刻は今でも綺麗に残っています。
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回廊を中心部には中庭があり、教会というより修道院に近い造りかも知れません。
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このような金箔で覆われた部屋はポルトガルのかつての栄華を見ているようです。南米大陸からたくさんの財宝が持ち込まれたのだと思います。
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先ほど教会の横に巡礼宿があったように、ポルトガルからサンディエゴ・コンポステラ(スペイン)への巡礼者のシンボルとなっている帆立貝が売られていました。

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教会を見終えて、少し降るとモンデゴ川対岸からコインブラ市内が見てて来ました。これから向こう岸へと向かいます。
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一旦ホテルで水分補給をして、今度は山の手のアルタ地区の散策となります。

2026年6月 5日 (金)

今週の生け花(令和8年6月第1週)

6月に入り、1日は台風のためいきなり休診となってしまいましたが、火曜日以降の那覇市内は比較的穏やかな天候が続いています。

現在、制度上の大きな変更があり、対応すべき業務に追われる日々です。しかし、そんな大きな時代の流れや慌ただしさの中でも、飾られた生け花は、いつもと同じように穏やかな姿で私たちを迎えてくれています。

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今週の生け花は、スモークツリーやかすみ草がまるで「霧」のような幻想的な雰囲気を醸し出しており、その中でギガンジウムの丸く紫色の花がひと際鮮やかに目を引きます。ギガンジウムはヒマラヤ原産のネギの仲間で、他のアリウム同様、長い茎の先に小さな花を大きな球状に咲かせます。すっきりと伸びた細い茎に、真ん丸な花の組み合わせがとても独特ですね。

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……とその姿を眺めながら、私は思わず全く違うことを考えてしまいました。

「頭の毛だけ残して、首から下を綺麗に刈り取られたアルパカに似ている……?」

少々、想像が飛躍しすぎましたね😆



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気を取り直して、アルパカではなく、この美しい生け花の姿をしっかりと心に留めたいと思います。色々と重なる業務で、私の頭も疲れすぎてスパーク寸前なのかもしれません(笑)。
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何かと忙しい6月ですが、元気に頑張って乗り切って行きましょう✌️
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<花材:ギガンジウム、スモークツリー、カンパニューラ、かすみ草、ハラン>

2026年6月 3日 (水)

大腸の機能とポリープからがんができる仕組み

ひさしぶるに那覇を直撃した台風6号の影響で6月1日は終日休診となりましたが、2日からは通常通りとなりホットしました。今後は本土の方の影響が心配です。被害が出ませんように。

さて、今回のテーマは「大腸がん」です。

現在、日本人の死亡原因の第1位は「がん」です。そして、その中でも大腸がんは、私たちにとって非常に身近ながんとなっています。

2020年のデータでは、日本人男性の62.1%、女性の48.9%が生涯のうちに一度はがんにかかるとされています。つまり、男性では約6割、女性でも約半数が「がんになる時代」ということです。

さらに女性のがん死亡原因では大腸がんが第1位、男性でも肺がんに次いで第2位となっています。これほど多い病気でありながら、大腸内視鏡検査を受けたことがない方がまだ多いのも現実です。

大腸は約1.8メートルほどの長さがあり、小腸から流れてきた水分の多い内容物から水分を吸収し、形のある便を作る働きをしています。大腸がんは、その内側を覆う「粘膜」から発生します。

大腸がんの多くは、「ポリープ」と呼ばれる小さな隆起から発生します。特に「腺腫性ポリープ」は、時間をかけてがん化することがあります。

ポリープは小さいうちに切除すれば、多くの場合は内視鏡だけで治療が終了します。例えば数ミリ程度の小さなポリープであれば、がん化率は極めて低く、仮にがんになっていても粘膜内に留まっていることがほとんどです。

しかし、ポリープが大きくなるにつれて、がん化率は上昇します。3センチを超える頃には進行がんの割合も増えてきます。

つまり、「小さいうちに見つける」ことが何より重要なのです。

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大腸がんの怖いところは、早期ではほとんど症状がないことです。

症状が出る頃には、ある程度進行している場合も少なくありません。

代表的な症状としては、

・便に血が混じる
・黒っぽい便が出る
・便秘と下痢を繰り返す
・便が細くなる
・お腹が張る
・便意が何度もあるのに出ない
・貧血や疲れやすさを指摘される

などがあります。

ただし、「出血=がん」ではありません。痔などでも出血します。しかし問題なのは、「昔から痔だから大丈夫」と自己判断してしまうことです。

実際、進行した大腸がんで来院された患者さんの多くが、「痔だと思っていた」とおっしゃいます。

また、健康診断で「便潜血陽性」を指摘されても、「症状がないから」と放置する方も非常に多いのが現状です。

便潜血検査は、大腸がんを見つけるための大切な入り口です。もし陽性を指摘された場合には、「念のため」で構いませんので、大腸内視鏡検査を受けてほしいと思います。

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最近では、大腸内視鏡検査も以前より安全に受けられるようになってきました。もちろん検査前に下剤を飲むなどの準備は必要ですが、早期発見によって命が救われる可能性を考えれば、とても大切な検査だと思います。

大腸がんは、比較的「治りやすいがん」と言われています。特に早期で発見できれば、根治できる可能性が高いがんなのです。

だからこそ、「症状がない今」こそが大切なのです。

40歳を超えたら、一度は大腸検査を受けてほしいと思います。

自分自身のために。そして、自分を大切に思ってくれている家族のためにも——。

早期発見に勝る治療はありません。

2026年5月31日 (日)

Hotel Astoria(Coimbra)宿泊


コインブラはコインブラ大学を中心に広がる人口10万人ほどの中規模な町ですが、ポルトガルの歴史の中では大きな役割を果たしています。コインブラ=コインブラ大学と言われるほど、大学とともに歩んできた街となっています。

ポルトガルにおいて政治の中心はリスボン、商業の中心はポルト、文化の中心はコインブラとされています。

コインブラ大学は1290年、ディニス1世によって創設されました。最初はリスボンに置かれていましたが、その後は政治情勢によりコインブラに移ったりリスボンに戻ったりしながら、1537年にコインブラへと定着しました。ヨーロッパでもパリ、ボローニャ、サラマンカに並ぶ古い大学であり、1911年にリスボン大学が設立されるまでは国内第一の学術の中心地でした。

**ディニス1世は第6代ポルトガル王(在位:1279年~1325年)。王権強化や土地台帳の整備、商業振興などにも力を注ぎました。また、それまでラテン語で作成されていた公文書をポルトガル語に統一するよう決定し、リスボンにエストゥード・ジェラル(一般教養学院)を創設しました。これがコインブラ大学の前身となります。**

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リスボンやポルトからAPやICなどの特急列車で来ると、市街地から少し離れたコインブラB駅に到着します。町の中心にあるコインブラ駅(旧A駅)へは、連絡列車に乗り換えてひと駅、約5分で到着します。

2013年には、14世紀以降大学として使われている山の手のアルタ地区と、16~20世紀に大学関連施設が置かれた下町のソフィア地区が世界遺産に登録されました。その間を流れるのがモンデゴ川で、アルタ地区とソフィア地区を結ぶのがサンタ・クララ橋です。

コインブラは1泊しかしないため、その両方の地区を効率よく回ることができるよう、橋のたもとにあるポルタジェン広場(Largo da Portagem)に面したHotel Astóriaを宿泊先に選びました。

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コインブラのランドマーク建築のひとつとされる歴史的建造物を利用したHotel Astóriaは、モンデゴ川を望む絶好の場所にあります。歴史あるバイシャ地区に位置し、館内には創業当時の面影を残したクラシックな雰囲気が漂っています。

この建物の形から、以前宿泊したフランス・ルルドのホテルを思い出しました(➡︎Grand Hotel Moderne )。


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AstóriaからコインブラA駅までわずか200m、イベリア半島最大のローマ時代の建造物、マシャド・デ・カストロ美術館まで徒歩10分以内です。
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老舗ホテルだけあって対応も丁寧でした。ホテルに入った瞬間、まるでタイムスリップしたようなレトロな雰囲気に包まれます。
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エレベーターはいわゆるクラシックスタイルで、自動ではドアが開きません。ボタンを押してフロント階に到着したのにドアが開かないので一瞬戸惑いましたが、ヨーロッパの古いホテルで経験したことがありましたので、自分でドアを開けて乗り込みました(もちろん、かごが到着している時だけドアが開く仕組みですので心配はありません)。

こうした古いエレベーターに乗るのも旅の楽しみのひとつです(ミラノのドゥオーモ広場に面した宿泊施設のエレベーターも特徴的でした➡︎ミラノ最高の眺めの宿泊施設


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一番外側の丸い造りになっている最上階の部屋を確保してくれていました。1年近く前に予約した際にリクエストしていたのですが、1泊だけの宿泊にもかかわらず、きちんと用意してくれていました👍

街と川を一望できるバルコニー付きの部屋です。

部屋の中も板張りで、椅子やワードローブなどには良質な木材を使った家具が置かれています。さすがに歴史のある建物だけあって、歩くと少し床が軋む音がします。それを好まない方もいるかも知れませんね。


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このようなバスローブの紐の巻き方など、何気ないおもてなしを感じます(おもてなしは日本の専売特許ではないようです🤭)
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山手側はバスタブとトイレがありました。最上階でしたが水圧も問題なくシャワーを浴びれました。この場所にも窓があり、そこからはコインブラ大学などが正面に見える位置関係にありました。
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落ち着いたヨーロピアンスタイルで天井も高く、窓を開けると開放感もあり、短いですがバルコニーにでて半周することも可能です。
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一番頂上にある部分がコインブラ大学の中心部となります。
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その間を流れるのがモンデゴ川で、アルタ地区(左の山手側)とソフィア地区(右手側)を結ぶのがサンタ・クララ橋です。両地区とも世界遺産に登録されていますので、今後それぞれ分けて紹介したいと思います。
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こちらは山手側で、急斜面に沿って建物が隣接して建ち並び、その頂上付近がコインブラ大学の中心部となっています。
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部屋の中にはフリーの水のペットボトルとりんごが置いてありました。2人で3本(それも1本は大きめ)のペットボトルのサービスは嬉しいです。

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部屋に到着して写真撮影をしていると、ドアをノックする音が……。ドアを開けると、なんと係の方が冷えたシャンパンとパンケーキ付きのウエルカムサービスを持ってきてくれました。

予期していませんでしたので、「ルームサービスは頼んでいません」と答えたところ、笑いながら「サービスですよ」とのこと。嬉しいサプライズでした。

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川の中には噴水があり、夜になるとライトアップされて、これまた美しい風景を作り出していました。文化的余裕というのは、このようなことを指すのかも知れないと感じた次第です。
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歴史あるHotel Astoria(Coimbra)の宿泊は、料金もそれほど高くないにもかかわらず、サービス、部屋の調度品、朝食のいずれも満足のゆくものでした。

コインブラは1泊しかありませんので、滞在中は積極的に観光しました。次回は世界遺産のソフィア地区の名所をお届けしたいと思います。

2026年5月29日 (金)

今週の生け花(令和8年5月第5週)

今週は時間が取れませんでした🙇‍♀️ 写真だけアップいたします❤️‍🩹

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