早朝のフィレンツェ大聖堂



折角ですので早足でヴェッキオ宮殿前の広場まで来ました。少し時間が経ったせいでしょうか?観光客が目立って来ました。皆私と同じ様に人気がいない写真を撮りたかったのでしょうね。
私たちは部屋に戻り、昨日買って来たパンとコーヒー入れてテラスから大聖堂を眺めながら最高の朝食を摂りました。さあ、今日も1日沢山回る予定です😉
折角ですので早足でヴェッキオ宮殿前の広場まで来ました。少し時間が経ったせいでしょうか?観光客が目立って来ました。皆私と同じ様に人気がいない写真を撮りたかったのでしょうね。
私たちは部屋に戻り、昨日買って来たパンとコーヒー入れてテラスから大聖堂を眺めながら最高の朝食を摂りました。さあ、今日も1日沢山回る予定です😉
花の都(フィレンツェのイタリア語名「Firenze」が「花咲く」を意味することから)や屋根のない美術館と評されるフィレンツェは徒歩で観光できるような範囲にルネサンス文化の中心地として、数々の美術品や建築物が街全体に点在し、どこを観てもため息が出るほど美しいです(もちろんオーバーツーリズムで観光客は多いですし、スリも多いですが・・・)
当初はヴェッキオ宮殿ではなく、Palazzo dei Priori パラッツォ・デイ・プリオーリと呼ばれて、それはフィレンツェ共和国の政治を司る”プリオーリ(政務官)”の建物という意味だったそうです。
その後Palazzo della Sognoria パラッツォ・デッラ・シニョリーア(領主)と政体の呼ばれ方と共に名前が変わり(現在のシニョリーア広場の名前はその名残となっています)。 1540年よりのメディチ家の住居として使われた時代にはPalazzo del Duca パラッツォ・デル・ドゥーカ(公爵)、と呼ばれます。そして、最終的にメディチがピッティ宮殿(新しい宮殿)に居を移した時からは”古い宮殿”Palazzo Vecchio(ヴェッキオ宮殿) と呼ばれるようになりました・・・この宮殿だけでもフィレンツェの歴史を感じさられます。
ヴェッキオ宮殿を普通に見て回れるのですが、検索したところ秘密の通路ツアーなるものがありました。一応公式サイトはヴェッキオ宮殿 秘密の通路ツアー これ以外にも「GetYourGuide」などでも申し込めますが、これらはツアーだけでなく終わった後に食事がついていたりすることで料金も高めの設定になっています。もし公式サイトでいっぱいでしたらこれらのツアーを申し込んでも良いのかも知れません。
屋根裏に入ったり、隠し扉を開いて秘密の通路を通れるこれらのツアーでは通常では入れない箇所も見学できるのでチャレンジしてみて下さいね。
ガイドさんが私たちと反対側の扉を開けてツアー開始となりました。
この部屋はマニエリスム期最後の作品と言われていて、大公フランチェスコ一世の命によってつくられました。フランチェスコの没後、一度は解体されたものの幸運にも再構築する事に成功。錬金術の考えに基づいて、複雑に構成されています。 実はこの部屋は後でゆく500人広間に隣が接する場所にあるとのことです。どのような構造になっているのかは想像しようもありません。500人広間と言われる大きな部屋からはこの部屋を見ることは出来ません。
全面にあるパネル絵は全て開き、中にコレクション品が納められていました。パネルの何枚かは扉になっていて開く事ができ、秘密の通路や部屋に通じています。扉の裏側にはヴェッキオ宮殿のオプショナル秘密の通路ツアーで入る事ができます。(インフェルノツアーはコースが異なります)
Salone dei Cinquecento
ヴェッキオ宮殿の広い階段を2階に上がると「五百人広間」と呼ばれる圧巻の大広間があります。総勢500人で構成される大評議会を開催するために、サヴォナローラの時代、1495年に、シモーネ・デル・ポッライオーロ(通称、クロナカ)によって建設されました。長さ54メートル、幅23メートル、高さ18メートルという並外れた大きさでイタリア最大のホールの一つとのことです。
旅行があまり好きでない方でも、トム・ハンクス主演ダン・ブラウン原作の映画「インフェルノ」で観たことがあるかも知れません。映画では主役のトム・ハンクスと、ヒロインのフェリシティ・ジョーンズが、この広間の屋根裏部屋で追いつ追われつの大活劇を繰り広げていました。まあよくこの場所を借りることが出来たもんだと映画会社の交渉スタッフはすごいなと感心してしまいます。
勝利の守護神(ミケランジェロ作)
もともと教皇ユリウス二世の霊廟(サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会/ローマ)の一部として製作されたと考えられています。アカデミア美術館にはあと4体、フランスのルーブル美術館にも2体がバラバラに保存されているとのことです。
「ユディトとホロフェルネス」の物語は旧約聖書の中で描かれているとのことです。ヨーロッパで、絵画に彫刻にはたまたモーツァルトの作曲の題材にも用いられています。特に絵画ではよく描かれています。多くの美術館で「若い女性が剣を持っていて男性の生首と一緒に描かれていたらこれが題材と思います。
アッシリア王ネブカドネツァルが諸地域に討伐のための軍隊を差し向ける。そこでユダヤにはホロフェルネスが派遣され、彼はベトリアという町を包囲します。水源を絶ってベトリアに降伏するよう促します。美しく魅力的で強い信仰心を持っていた寡婦ユディトが一計を案じます。彼女はこれ以上ないほど着飾り、一人の侍女とともに武器も持たずに敵のホロフェルネスの陣営に忍び込みます。泥酔して眠っていたホロフェルネスの首を彼の短剣で切り落とすことに成功します。こうして司令官を失ったアッシリアの軍勢は敗走した・・・・この様子を描いた作品がヨーロッパのあちこちで見ることが出来ます。結構生首の血が滴る様子などエグい場面が多いので記憶に残っているのです😅
いくつかの部屋の中に地図の間(クローク)と言われる部屋がありました。この部屋をつくらせたのはコジモ一世、自分の名Cosimoにちなんで”Cosmos” -ラテン語の”宇宙”を表現したそうです。
現在は壁一面の地図と部屋の中央の地球儀のみ見られますが、建設当初は天井からは天体球が吊り下げられ、壁の上部には世界の王や貴族、教皇や枢機卿から文化人にいたる多くの肖像画が飾られていたと考えられているそうです。
実は地図の間にも隠し扉があります。映画「インフェルノ」では別の場所に飛んでしまいますが、実際はビアンカ・カッペッロの秘密の隠し部屋へ行く事が出来るそうです(後でこのようにブログに書いてある方がいたので分かりました)。
令和7年7月第2週となりました。選挙運動も中盤になり選挙カーが各党の訴えを流しながら通り過ぎて行きます。選挙の度に各党とも素晴らしい公約を訴えますし、立候補者は低姿勢で握手を求めてくる光景を目にします。 私がいつも落胆するのは選挙前と当選後の政策と態度の急変がある場合です。 もしも公正なAIあるのなら、少なくとも再選を目指す議員に対しては、選挙前の公約をどれぐらい実行できたかを点数で示して欲しいですし、失言も点数化して見えるようにして欲しいと思うのですが・・・こんな便利なツールがあれば政治家も真摯に取り組むでしょうし、私たち国民の不信も払拭できるのではないかと期待もしてしまいます🤭
今日のFM放送は太陽光線が人間の肌と目に与える影響について話をしました。ずっと以前にも記載した事がありますが、まとめながら追記いたします。
太陽光線(主に紫外線)から肌を守るために、メラニン色素の誘導が起こります。太陽光線には私達の体に良い部分と悪い部分があります。
太陽光線を浴びると皮膚を守るためにメラニン色素が誘導されます。太陽光線が強いとメラニン色素が増え褐色の肌になり、紫外線が皮膚の中まで入ることをブロックしてくれます。人間の皮膚の防衛反応と言うことが出来ます。
人間の肌の色は、長年の太陽光線を浴びる量によって変化しました。黒人は日光に対して抵抗性がありますが、白人は弱く、日本人は中間でしょうか? ただ日本人でも太陽光線に関しては、それぞれ個人差があり違いがあります。
これまでの経験で、太陽光線を浴びると、①直ぐに日焼けするが色が黒くなりにくい、②日焼けもするがあとで黒くなる、③日焼けしづらいが後で白くなりにくい・・・大きく日本人を分けるとこんな感じでしょうか? お解りと思いますが①、②、③の順に日光に弱い肌で、日焼け対策がより重要となります。
紫外線が私達の肌のしなやかさ保っている真皮のコラーゲン(膠原繊維)やエラスチン(弾性繊維)に影響を及ぼすと、次第に皮膚の弾力が失われて「シワ」となってしまいます。
子供の夏休み期間は海や山のレジャーに出かける機会もあると思います。 大人は日傘に日焼け止めを充分に塗って対策をしていると思いますが、子供達にも帽子や日焼け止めクリームを適切に塗ってあげて欲しいですね。今の両親は子供達にもこのような対策をする方が増えましたが、私の子供の頃は大人は無頓着でした。
夏休み明けの教室で、皆の顔が真っ黒に日焼けしていて教室内の雰囲気が変わったことを今でも思い出します。 昔は何も対策を取らずに、日焼けして水ぶくれなって、皮がむけて、痛て〜と思いながら、夏休みを楽しく過ごしていました
・・・いかん!医療ブログなのに私の思い出に浸ってしまいました🙏
日光を浴びるとその紫外線の影響で表皮の部分が火傷を起こし、水脹れや発赤を起こしますし、真皮のコラーゲンやエラスチンを硬くして後々シワの原因にもなります。 近年はこのような日光による傷害も判るようになったため、あえて無防備に太陽光線を浴びることも少なくなりました
(昔救急医療をやっていると、夏場になると沖縄の太陽の下で海水浴などを行って、夜中から日焼けによる痛みや水膨れで救急外来を受診する観光客が非常に多かったです。次第に少なくなっています・・・沖縄の海を楽しいで欲しいでしが、沖縄の夏の太陽を侮ってはいけませんよ😆)
今回、早朝にシエナを出て目一杯フィレンツェを観光したのですが、それでも夜は夜で夜景も楽しみたいと思いました。流石に若くないので疲れも溜まると思い、夜9時から2時間の電動ゴルフカートのプレイベート観光ツアーを予約しました・・・今回も日本出発前にこのツアーも予約していましたが・・・なんとこの旅行初の雨・・・それもこの夜の時間帯は豪雨の予想となりました。 逆にある意味雨の中での観光はできませんのでこのツアーに予約して良かったのかもしれません。
と言うわけで、雨の中のフィレンツェの夜景を載せてみます。
11時近くとなっていましたの、直ぐにシャワー浴びて翌朝に備えます。あれほどの大雨でしたが翌朝の5時ごろに窓を見ると月が見えました。翌日は曇り時々晴れの天気で観光日和となりました。
今回のフィレンツェの旅行でぜひやりたいと思ったことの1つにフィレンツェ大聖堂のクーボラ見学があります。
公式サイトでドゥオーモと周辺の施設を回れる共通券をオンライン予約できます。「Brunelleschi
Pass(ブルネレスキ・パス)」「Giotto Pass(ジョット・パス)」「Ghiberti
Pass(ギベルティ・パス)」と呼ばれのがありますが、クーポラの展望階に入れるパスはBrunelleschi Pass(ブルネレスキ・パス)しかなく、このクーポラ見学だけは日にちと時間を決定して予約しないといけません。 そのためクーポラに登ることが1番困難だと思います。大聖堂のクーポラに登る時間は前もって時間の予約が必要となります。私たちは日本にいる時に予約しました。
公式サイト(英語)で事前にチケットを予約して入手する方法は、以下の記事にて詳しく解説しております(→公式サイト)。
令和7年も7月となりました。2025年も半年が終わり後半の半年に突入です。私などはダラダラと生きているせいで何もしないうちに後半戦となっ焦ってしまうのです。
参議院選挙が公示されて各党の政策が出てきたと思います。国民の1人1人が政治を動かして自分が描くより良い未来づくりを選挙を通して考えて欲しいと願います。いま民主主義は危機的な状況となっています。 民主国家と言われていても、自由で公正な選挙、法の支配、人権の尊重、三権分立などが弱体化すると、独裁的な権力行使を招きやすくなります。 世界的に分断が進み、民主主義から独裁主義的で、軍事力での支配が蔓延るように変容しつつあります。 日本も世界もここで踏みとどまらないと正義とか平等という概念も消失するかも知れません。
今日のFM「いきいきタイム」は梅雨明けのこの時期から起こりやすくなる熱中症について話しました。これまで何度かメカニズムや症状、対策についてはこのブログでも書きましたので、暑いときにかく汗について記載します。
私達恒温動物は、暑さ寒さに関係なく体温を一定に保つ様になっています。日々の活動や休んでいてもエネルギーを使い続けていますので、体から熱と出しています。寒いと体をブルブル震わせて(筋肉運動)エネルギーを産生し、体温を維持します。
熱を造ることは出来ますが、熱を奪うことは体内では出来ません。それを可能する最も大きな因子は、私達の皮膚の汗腺から出る汗の作用です。暑いと皮膚の表面から汗がでます。汗(水分)は蒸発する時に多量の気化熱が発生します。この気化熱により皮膚表面を冷やすことで体温を保っています。
汗の成分の99%は水分です。汗を舐めると塩辛いのは汗には約0,6%のナトリウム(塩分)が含まれているせいで、それ以外に僅かながらカルシウム、マグネシウム、尿素、塩素、乳酸などが含まれます。
ではでは・・・汗の元のなるのは・・・そう私達の血液ですね。暑くて非常に汗をかいた時に水分が失われて脱水になります。
①汗をかいた場合はその分小まめな水分補給が必要となります。
②多量の汗をかいた時にはナトリウムも不足となります。ですから水分と塩分の補給が必要となります。
③更に作業や運動で多量に汗とエネルギーが消費される場合は、水分+塩分+糖分の補給が必要となるのです。
この様な状況下での飲み物として開発されたのが、スポーツ飲料です。大して汗もかかないのに夏場だからといってスポーツ飲料を中心に飲むと、水分の補給は出来たとしても、塩分と糖分は必要以上に摂りすぎとなりますので注意が必要となります。
<余談ですが汗には2種類あります>
多くの方がご存じと思いますが、汗を出す汗腺には2種類あります。エクリン腺とアポクリン腺が存在します。全身にあり多くの発汗と関係があるのがエクリン腺で、アポクリン腺は腋や陰部など限られた場所にあります。
アポクリン腺の役割は体温調節作用ではなくて、主に体臭の原因となる匂いを出す器官です。 今でこそワキガの原因となり嫌われていますが、本来は異性などを引きつけるためにあったと考えられています。
ですのでアポクリン腺は子供の時は小さく、思春期になると増大し、老年期になると退縮して来ます。アポクリン腺からはタンパク質、脂質、糖質、アンモニア、ピルビン酸、色素リポフスチンなどが分泌されます。 これらは通常の汗よりも皮膚の常在菌にとっても栄養源が高く、増殖しやすくなることで、更に菌の発酵臭も混ざってあのワキガの独特な匂いとなります。
この様なことを防ぐ為にも様々な制汗剤が市販されています。その作用には、①ひんやりとして汗をかきにくくする成分と、②消臭剤+芳香剤、それに③細菌の増殖を防ぐ殺菌成分が含まれていることが多いと思います。 アポクリン腺の作用を打ち消すように考えられているわけです。
最後は横道にそれてしまいましたでしょうか? 暑いときには体を冷やすために汗がでます。汗が出ても大丈夫なように水分(その次ぎに塩分、最後に糖分)を小まめに補給して暑い日本の夏を乗り切りましょう。
フレンツェを見渡せるサン・ミニアート・アル・モンテ教会(Basilica di san miniato al monte)へと出かけました。
Wikipediaによると「サンミニアートアルモンテは、イタリア中部のフィレンツェにある大聖堂で、市内で最も高い場所の1つに立っています。トスカーナで最も素晴らしいロマネスク様式の建造物の1つであり、イタリアで最も美しい教会の1つとして説明されています。隣接するオリヴェタン修道院があり、階段を上ると大聖堂の右側に見えます」と書いてあります。
私がこの場所に行こうと思ったのは、フィレンツェの眺望出来る最も有名な場所が「ミケランジェロ広場」だと思います。これまでの旅行でミケランジェロ広場からの眺望は見たことがありました。それに今回は夜にミケランジェロ広場は訪ねる計画でした(ただし夜は雨になる予想となっています)。
またその日は夕方にフィレンツェ大聖堂のクーポラに登る予定でしたので、その隙間時間にタクシーにてこの教会までやって来たのです。
この教会は、250年にフィレンツェで殉死した聖ミニアートの聖遺物を納めるため、1018年から建設が始まりました。ロマネスク様式のこの教会となっています。内部も美しい作品で埋め尽くされているそうですが、時間がないので殆ど写真を撮らずに外へと出ました。
イタリアの職人芸はローマ時代から時代をかけて醸成されてきたと思います。なんとなく現在のイタリアを見るとインフラの悪さや治安の悪さ、人々の働きぐわいをみるとどうにかならないものかと思うのですが・・しかしながら伝統に培われた芸術の懐の深さには感嘆することが多いのも実感です。
イタリアは革製品も素敵なものが多いのですが、高温多湿の沖縄に済んでいるとメンテナンスの方が大変ですので革製品を購入したことはありません。 しかし今回はマーブル紙の作り方もお店で見せてもらえる IL Papiro(イル パピロ)のことをネットで見つけましたので、この店を訪ねることにしました。 フィレンツェのシニョーリア広場とドゥオーモの間の細道via de' tavoliniタヴォリーニ通りにあるマーブル紙のお店です。
マーブル紙というのは、日本の墨流しが中国に伝わり、シルクロードを使ってここヨーロッパに入ってきたと言われます。日本の墨流しは白黒のモノトーンのデコレーションですが、1800年代にイタリアらしくアクリルカラーを使ったカラフルなマーブル紙として作られています。イタリアのマーブル紙はここフィレンツェが発祥の地だそうです。マーブル=大理石の様な模様を作りだすという意味だそうです(作品を見て納得)。
今日(2025/06/25)のFM「いきいきタイム」は大腸癌について話をしました。 日本で胃癌は減少傾向にありますが、大腸癌は食事の欧米化と共に戦後一貫して増加を辿っています。 今日は折角ですので大腸癌だけに絞らず胃と大腸のポリープについて書いてみました。
バリウム検査や内視鏡検査でポリープを発見することはよくあります。 ポリープを指摘された場合「いよいよ駄目か」とびっくりする方や「な〜んだポリープ」かと平気な方まで反応が様々です。
では「ポリープ」とはどのようなものでしょう?
消化管や口や鼻あるいは女性の膣や子宮などの粘膜から発生する隆起性病変(盛り上がった病変)をポリープと呼んでいます。
胃や大腸のポリープ、子宮頸部ポリープ、鼻にできるポリープ(鼻茸)、声帯ポリープなどが有名でしょうか。
ポリープの原因は大きく炎症性と腫瘍性に分かれ、問題となるのは腫瘍性のうち良性なのか悪性(癌)なのかということになります。
ポリープも範囲が大きいので今回は胃と大腸のポリープの絞って説明します。
胃や大腸のポリープを指摘されたことがある方は多いと思いますが、同じポリープでも癌化の発現率に違いがあります。一般的に胃のポリープは大腸と較べて癌化率は低いです。
胃ポリープは①過形成性ポリープ、②胃底腺ポリープ、③腫瘍性ポリープがあります。①:胃過形成性ポリープはピロリ菌の感染や慢性の炎症のために粘膜が肥厚し隆起したもので大きさも形も様々です。大きくなって出血したり胃の出口を塞ぐようになると良性でもポリープの切除を勧めます。癌化率は1%程度です。 ②:胃底腺ポリープは胃底腺と呼ばれる組織が肥大化したもので、小さく多発するのが特徴で検診で最も多く指摘されますが、癌化することはなく大きくも殆どなりません。何もしなくてもよいポリープです。 ③:全体としては少ないですが粘膜が腫瘍化してできた腫瘍性ポリープは良性の腺腫が殆どですが癌のこともあり経過を充分行います。癌化率は10%程度ありますのでこの場合は胃のポリープの切除を早めに勧めています。
大腸のポリープは①過形成ポリープと②腫瘍性ポリープに分かれます。①:過形成ポリープは腸の粘膜の炎症でポリープ様になったもので一般的に経過観察のみとなります。 ②:腫瘍性ポリープは良性(腺腫)と悪性(癌)との鑑別が重要になります。 大腸の場合、平坦な粘膜がいきなり癌になることは稀で、多くの場合はポリープが徐々に大きくなり癌化することが一般的です。 このことより大腸癌の予防のためにはこのポリープを見つけて早めに処置をすることが重要となります。
ポリープの大きさと癌化率は大きさ4mm以下では0.05〜0.1%、5〜9mmで7〜8%、10〜20mmで20〜30%、20以上で30〜50%となっています。この殆どが粘膜内にとどまっている癌でポリープを切除するだけで根治が期待できます。30mmを越えると進行癌が多く内視鏡的切除の適応とならないのが殆どです。
上記に対しては多くの場合の治療は内視鏡で行うことが多く、単純の場合はポリープに輪っか引っ掛けて電気で切る「ポリペクトミー」、輪っかがかかりにくい場合は粘膜の下に液体を入れて浮き上がったところで輪っかをかけて切り取る「内視鏡的粘膜切除術」、早期癌や病変が大きい場合には粘膜下層に薬液を入れながら広範囲に切除する「内視鏡的粘膜下層剥離術」などを行ってゆきます。
ちょうど良いイラストが「イラストAC」にありましたので拝借して貼り付けておきます。
今日この様なことを書きましたのは、患者さんから「ポリープをいわれたけど大丈夫でしょうか」とか「ポリープは癌にならないと聞いたけど本当」・・等の質問を受けることがありましたので書いてみました。 ポリープは癌にならないなどと極端なことを言う方も中にはいますが、正確な情報をもとに検査や治療をされたのがよいと思います。 極端な意見を発した方が注目されることはありますがその後の責任は負いません・・・不思議です。
(前回→サンタ・マリア・ノヴェッラ教会)
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会に隣接するサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局は(Officina Profumo-farmaceutica di Santa Maria Novella)は、イタリア・フィレンツェに所在する、現存する世界最古の薬局として有名です。修道士が作った世界最古の薬局が元で、その設立は1221年ですので、既に800年の歴史を誇っています。
<サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の歴史>
1221年フィレンツェに移住してきたドミニコ会の修道院サンタ・マリア・フラ・レ・ヴィニェ(Santa Maria Fra Le Vigne ブドウ畑の中のサンタ・マリアの意)の修道僧たちが薬草を栽培して薬剤を調合していたのが始まりとなります。この修道院は後のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会へと発展します。1612年には薬局として認可され、一般営業を開始。ヨーロッパ諸侯が顧客リストに名を連ねた。創業についての助言と協力のあったトスカーナ大公(メディチ家)からは王家御用達製錬所の称号を受けることになります。
お店の奥にはこのような当時の壁面のフレスコ画も残されている部屋が開放されていました。凄い薬局です。皆様方も買い物でもいいですし見学でもいいので覗いてみては如何でしょう。買う必要はありませんが品位を持って見学されて下さいね。
4回目のフィレンツェで行ってみたかった教会の1つにサンタ・マリア・ノヴェッラ教会(イタリア語: Basilica di Santa Maria Novella)があります。これまで外観の写真は撮ったことがありましたが中に入ったことがない教会です。
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会も隣接する薬局も大聖堂や中央駅からも徒歩で簡単に行く距離にあります。
この教会の歴史は古く、1219年に12人のドメニコ会修道士がボローニャからフィレンツェへやって来て、1221年に小さなサンタ・マリア・デッレ・ヴィーニェ教会(ぶどう畑の聖母マリア教会)を入手したのが初まりとのことです。教会の名の通り、当時この地域は耕作地だったそうです。その後何度も改修工事が行われ、現在の形になったのは1858年から1860年にかけてのこと。
教会には修道院と3つの大きな回廊が隣接している。緑の回廊、スペイン人大礼拝堂、食堂は今日サンタ・マリア・ノヴェッラ美術館の一部として一般に公開されている。
次回は日本でも有名なイタリアの香水ブランド「サンタ・マリア・ノヴェッラ(santa maria novella)」の本店が教会の隣ですので紹介します。
香水ブランド「サンタ・マリア・ノヴェッラ」は修道士が作った世界最古の薬局が元です。その設立は1221年ですので、既に800年の歴史を誇っています。
那覇市は梅雨明け後やはり暑い状態が続いています。前の日曜日に所用で那覇市の「国際通り」を歩いていたら多くの観光客が戻って来たいました。日本人が多いのですが、韓国語や中国語もよく聞かれました。街を歩いた感じでは沖縄観光はコロナ以前に戻った感じがします。
<花材:ナナカマド、スモークツリー、アップルジンジャー、ガーベラ、アンスリューム>
(今日は第3水曜日ですので会議の為ラジオ放送はありませんので医療ネタもありません。イタリア旅行記が終わりそうもありませんので今後は土日も旅行記を記載したいと考えています)
前回も記載しましたが私達はクーポラを登るために日本でBrunelleschi Pass(ブルネレスキ・パス)を公式サイトから予約しています。
前回のブログのサン・ジョヴァンニ洗礼堂 を見学後はドゥオモ附属美術館へと向かいました。
サン・ジョヴァンニ洗礼堂 (Battistero di San Giovanni) は、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂付属の洗礼堂となります。
大聖堂の正面玄関に向き合って立っている八角形の建築物で、ロマネスク様式の最も重要な集中形式の教会建築のひとつだそうです。この洗礼堂の起原は4世紀から5世紀となっているとのことですが、大聖堂、鐘楼よりも古く、現存の3つの建築物の中では最も古く11世紀に起工されています。最初は礼拝堂として使用され、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の建立にともなって、1355年から1375年まで改修を行い、礼拝堂に入る前に洗礼を施す洗礼堂として使われるようになったとのこと。
この洗礼堂で洗礼を受けたダンテ・アリギエーリは、『神曲』地獄篇で「わが美しき聖ジョヴァンニ」とこの洗礼堂に言及しているそうです(Wikipediaに書いてありました😅)。
北側の扉は『キリストの生涯』を表し、多くの方が参加し製作されたとのことです。この扉は大聖堂と面する東の扉として作られたそうですが、後に出来た東の門(天国の門)と置き換えられたそうです。
洗礼堂内部の直径約26mほどで、高い位置に多くの窓があることより自然光だけで中は十分に明るいです。
このモザイク画を実際に製作したのはヴェネツィアのモザイク職人達ですが、構図や原案は14世紀初頭のフィレンツェを代表する芸術家たち(チマブーエ、メリオーレなど)によってつくられたそうです。製作期間は1225年〜1330年まで1世紀以上に渡りました。
2024年の写真は櫓のお陰で綺麗に中央部が撮れませんでしたので、画質は悪いのですが2014年の旅行時の写真を追加しました。
今回泊まった場所からの洗礼堂の眺めとなります。
サン・ジョヴァンニ洗礼堂 チケットの種類と料金
「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」だけに、単体入場できるチケットはありません。公式サイトなどでオンライン予約できる「Brunelleschi Pass(ブルネレスキ・パス)」「Giotto Pass(ジョット・パス)」「Ghiberti Pass(ギベルティ・パス)」と呼ばれる、複数のドゥオーモ関連施設に入場できる共通パス(チケット)のいずれかを購入する形になります。私達はBrunelleschi Pass(ブルネレスキ・パス)を日本にいる時に予約しました。大聖堂のクーポラに登る時間は前もって時間の予約が必要となります。クーポラに登る予定ならBrunelleschi Pass(ブルネレスキ・パス)しかありません。
Brunelleschi Pass(ブルネレスキ・パス)
料金 |
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入場可能施設 |
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Giotto Pass(ジョット・パス)
料金 |
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入場可能施設 |
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Ghiberti Pass(ギベルティ・パス)
料金 |
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入場可能施設 |
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公式サイト(英語)で事前にチケットを予約して入手する方法は、以下の記事にて詳しく解説しております(→公式サイト)。
梅雨明けした沖縄は暑い気温となっています。沖縄旅行を考えている方がいれば梅雨明けの今がいいのかも知れません。本土の方では梅雨の雨や蒸し暑さで鬱陶しい時期になっていると思いますので、晴れ間の多い沖縄旅行がこの時期は値段的にも比較的リーゾナブルだと考えます。
今日のFM放送いきいきタイムは「貧血について」話をしました。貧血は身近な病気ですが、実は色々な種類がありますし、症状も様々となります。もちろん急劇な事故や手術などによる大出血による急性の貧血もありますが、一般的には慢性的な貧血のことだと考えています。
素人の方でも急劇な貧血はもちろん生命を脅かすことになりますし、気絶したりするだろうと想像出来ると思います。
では慢性的な貧血ではどんな症状が出るのでしょうか?
なんとなく続く不調、その背後にあるかもしれない「貧血」の場合だってあるのです。朝起きにくい事や、疲れやすい、運動不足で息切れすると思ったら貧血が原因なんて言うこともあるかも知れません。
貧血とは、血液中の赤血球やヘモグロビンの量が少なくなり、体全体に酸素が十分に行き渡らなくなる状態のこと。全身の細胞に必要な分の酸素が行き渡らなくなるのです。
特に女性に多く、「疲れやすい」「立ちくらみがする」「顔色が悪い」などの症状が目立ちます。
しかし一口に「貧血」と言っても、原因やメカニズムはさまざま。正しく理解し、必要な対策を講じることが健康への第一歩です。
実は貧血と言っても色々なタイプ(原因)があるのです。その分類を簡単に表にまとめてみました。
日本人に最も多く、特に月経のある女性に圧倒的に多いタイプの貧血です。
鉄の摂取不足(ダイエット・偏食など)
月経過多や消化管からの出血
鉄の吸収障害(胃の手術後など)
疲れやすい・動悸・息切れ
爪がスプーンのように反り返る「スプーンネイル」
口角が切れやすい・舌の痛み
食事で赤身肉・レバー・あさり・小松菜など鉄を補う
ビタミンCと一緒に摂ると吸収効率アップ!・ 対策・予防
②巨赤芽球性貧血・・・名前はなんとなく壊そうな貧血ですが、悪性の病気ではありません
(A)原因:
(B)症状:
「再生不良性貧血」は専門医による精密検査が必須
「溶血性貧血」は遺伝性もあり、小児にも起こります
「慢性疾患に伴う貧血」は高齢者や持病がある方に多く、慢性腎臓病や癌、自己免疫疾患が背景に潜んでいることも
「貧血」は、単なる“鉄不足”と軽視されがちですが、実は命に関わる重篤な疾患のサインであることも。なんとなく体調が悪いなども貧血が原因のこともあるのです。
症状が軽くても慢性的に続く場合は、自己判断せず医療機関での検査をお勧めします。
・貧血にはいくつかの種類があり、原因は一つではない
・ 特に「鉄欠乏性貧血」は女性に多く、日常的な食生活が影響(無理なダイエットも注意)
・慢性的な疲労感や顔色の悪さを感じたら、医師に相談を!
フィレンツェはこれまで4回訪ねたことがありましたが、過去2回はツアーで半日の滞在、1回は1日滞在でしたがこれも実質は半日と夜間で憧れのフィレンツェも毎回表面だけ見て終わってしまいました。今回は初めてフィレンツェに宿泊それも2泊ですので、これまでに出かけたことのない場所も見て回ることにしました。
シエナからフィレンツェに到着後に宿泊の受付に荷物を預けてすぐに行動です。まずは行きたかったメディチ家礼拝堂Medici Chapelsを見ることにしました。一応チケットはネットで事前に入手していました。
メディチ家は銀行家として財をなし、実質的なフィレンツェの支配家であり、後にはトスカーナ大公国の君主でもありました。それよりも私にとってはルネサンスの芸術を開花させた一族のイメージです。ルネサンスで有名なレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ボッティチェリ、ヴァザーリはみんなメディチ家の保護下にありました。
北イタリアに行くとメディチ家の影響力の凄まじさを目の当たりにします。その一族の礼拝堂がフィレンツェ大聖堂の近くにあります。これまで存在は知っていましたが入ることは叶わなかった場所です。
右側のドームの場所が後で入る「君主の礼拝堂」の部分となります👆
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